人々を「洗脳」という蟻地獄に誘い込むための現代版2大ツール。それがマスコミと義務矯育です。「教育」という言葉も好きではありませんし、発想がそもそも間違っていると思うのですが、実際に現場で行われているのは、それよりももっと酷い「矯育」です。そして、その「矯育」に屈しない子どもたちには、さらに「脅育」理念を植え付けて、落ちこぼれに仕立て上げて行く。そのシステム自体が、「恐育」であり「凶育」になっているのです。
こんな恐ろしい仕組みがもし無かったとしたら、人類はもっと早くに幼年期を脱していたことでしょう。義務矯育によって、先ずは下地を作り、「洗脳」にすぐに侵されやすい体質と人格形成を図る。それが各人に充分に浸透したのちに、世に放ち、あとはマスコミの餌食にする。実によくできた素晴らしいプログラムで、大多数の人がその仕組みに何の疑問も抱いていません。それは既に「洗脳」が深く浸透している証拠です。
あなたにお尋ねしたいです。小中に受けた義務矯育で、何か役に立っていることがあるでしょうか? 読み書きが一応できる。ふむふむ、なるほど。先ずはそれがいちばん重要。でもそんなことは、学校に行かなくても家で学習できます。それにですよ。漢字が読めなくても、自分のメッセージ原稿を自分で書けなくても、気の利いた答弁が即座に出来なくても、一国のリーダーが務まるということが、すでに証明されているじゃないですか。
算数ができる。うん、それも役に立つ。でも日常でどんな算数を使います? 足し算、引き算、掛け算、割り算、それに九九を知っていればそれで充分だ。私の場合は、料理と大工仕事で算数が必要になる。料理の時は比率をよく計算しますし、大工仕事の時には足したり引いたりという計算が必ず必要になる。最近は脳が退化して来たため、情けないことに足し算も暗算では出来なくなっちゃいましたが、今は計算機ってものがありますからね。
英語。私は出来ないです。Speaking も Listening もまるでダメ。それとあと Reading と Writing も(って早い話が全部 NG じゃん!><)。
自分が小学生の頃、日本人というのは中高大と10年間も英語を習っていても「This is a pen.」しか言えない、それは外国人から見るともの凄〜く不思議なことだ、と聞かされていました。半世紀経って、その実情は少しは解消されたんでしょうかねぇ? 今やアジア人の中で英語を話せないのは日本人だけみたいです。文科省がやって来た英語矯育というのは、どうも「英語コンプレックス」を抱かせるための策略としか思えませんね。
私の悲惨な英語授業体験は、関係代名詞の「that」を、○○の(○○は that 以降)「ところのものの」と訳さずには済まない英語教師に運悪く遭遇してしまったこと。「〜のところのものの」なんて、日本語の通常の会話だって使わないじゃないですか。そこで、試験の時に、that 以降を先に訳してそれに前部分をくっ付けるなんて約束事は一切無視して、ポエティックに超訳をして答案に書いたんです。
自分では「うん、このフレーズはナイスだぞ!」なんて思って書いていたんですけど、戻って来た答案用紙を見たら、全部ペケだった。しかも欄外に、ご丁寧にも赤ペンで「ところのものの」って、〈こう訳すんだぞ〉と言わんばかりに書いてあったんです。もうそれ以来、すっかりやる気をなくしてしまいました。さらに悪いことには、この教師が学級担任だったの。それで反抗的人間だと目をつけられて、あとは一巻の終わり。
私は漣健児さん訳の60年代の「カヴァー・ポップス」が好きだったので、そういう「世界観」を日本語で表現することが「翻訳」という作業だと思っていたんです。歌でも書籍でもですよ、もし翻訳家が「ところのものの」なんて訳していたら、編集者から「あんた、もううちに来なくていいよ」って言われちゃうんじゃないでしょうかねぇ。この担任教師、後日談があって、英会話の特別授業で外国人が来た時、一言も話せないんです。「Hello」も言えずに固まってた英語教師って、いったい何なのさ! プンプン。
義務矯育の9年間を思い起こして、「あの先生はいい人だったなぁ」と思えるのは僅かに2人だけ。3割が暴力教師かエロ教師、6割が、ただ学校に通勤して授業ってやつをやっているだけという「でもしか先生*」。まあマトモかなと思える人は1割いたかどうか。ロクでもない人間ばっかり。こんな監獄に押し込められて、思想矯育を受けていたんですからね。今も思い出すと、あの日々の恨みがフツフツと沸いて来るほどなんです。フツフツ。
*でもしか先生:教師にでもなるか、教師しかできない、という情熱に欠けた、子どもへの愛のまったくない教師。
忌野清志郎さんの初期の歌に『ぼくの好きな先生』というのがあります。高校時代、清志郎さんは、授業がつまらなくて学校をサボってばかりいた。それで出席日数が足りなくてもう留年かってなった時に、美術の先生が「絵を描けば出席したことにしてあげる」と言ってくれて、それで高校を卒業できた。清志郎さんは抜群の絵の才能を持っているのですが、この先生はそれを見抜いて、その一点に賭けたんです。若い才能の芽を摘み取ってしまうことなんて出来なかった。
その時があったればこそ、忌野清志郎というアーティストが世に出たのです。なぜ、そんな貴重な出会いが生まれたのか。この先生も「はぐれ者」だったからです。自分が「はぐれ者」だったから、「はぐれ者」の気持ちが解った。『ぼくの好きな先生』には、その様子が描写されています。
私が、尾崎豊さんのことを知ったのは、40歳を過ぎてからでした。第一印象はキ・ラ・イでした。歌をよく知らずに、ただ熱狂している人たちを見て「ケッ」と思っていたんです。でも死んだカミさんから「声が素晴らしいわよ〜」と言われて聴いているうちに、彼の「魂」の叫びにしだいに魅了されて行きました。
ああ、これこれ。そうなんだよな、この感覚。
「行儀よくまじめなんて出来やしなかった。夜の校舎窓ガラス壊して回った」
「信じられぬ大人との争いの中で、許し合い、いったい何解りあえただろう」
未熟なんですけれども、その未熟さをストレートにぶつける「魂」の純粋さというものが、尾崎豊さんにはありました。
そして解っていたんです。彼には、
《オープニング》
校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた
《エンディング》
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの卒業
闘いからの卒業
これは代表曲『卒業』のオープニングとエンディングの歌詞です。彼は、冒頭で「光と影」が織りなす世界の多次元性(幻とリアル)への自分の「feel」を吐露し、最後で、この世界の「支配」からの卒業、かつ「闘うこと」そのものからの卒業が必要なんだと歌っています。
9年間の義務矯育を通じて、私が教室で植え込まれたのは次の3点でした。
1)物事には、答えや正解というものがある。
2)だから、自分で考えたり、創造したり、工夫したりしなくていい。
3)答えや正解を知る者が優秀者であり、導き出せない者は劣等者である。
私が義務矯育を受けた時代(50年以上前)、教室の上座には教師用のテーブルと黒板があり、生徒はきちんと揃えて配置された机と椅子に行儀よく座って、全員が教師の方を見て授業を受けていました。そこで教師が言うんです。「この問題、解る人?」すると、「ハイ、ハイ」と何人かの生徒が手を挙げる。それで、指名された子の答えが合っていると「正解!」ということになり、その子はしばし優越感に浸り、手を挙げられない子たちは劣等意識をどんどん強化されるという「競育」方法が取られていたんです。
まったくもって、『クイズ$ミリオネア』かよ、って感じでした。このような「競育」を繰り返し味わわせることで、「心理カースト」の中に、子どもとその親たちをだんだんと追い込んで行ったのです。そして、ごく一部のエリートと、その下で生きる多くの奴隷たちという構造が、社会のあり方として当然であるという感覚を植え付けることに成功したのです。聞くところによると、今もそのやり方はあまり変わっていないようですね。せめて、机を扇型配置にしたディスカッション形式に変更してみては、と思うのですが。
諸外国の人と比べて、日本人というのは、自分の意見(My own opinion)をハッキリ述べるということがどうも苦手なようです。先ず意見そのものを持たない。全部用意してくだされば自分は後ろを着いて行きます、という人が大半で、自分の意思で、自ら行動しようとする人が非常に少ない。絶えず周囲の顔色をうかがい、忖度し、自分の意見を述べることはしないが、他人が発した言動がちょっとでも気に障ると、匿名で、ここぞとばかりに集中砲火を浴びせて、何か発言した気になっている、という困った人が実に多い。
これは、ディスカッションの訓練を受けた経験がないからだと思うのです。そもそも、多様な人種、多様なコミュニティ、多様な生活、多様な考え方があるという前提に触れた経験がない。そのため、多様な意見を交換して、互いを高め合うという発想が、日本人には決定的に欠けていると思います。
行動(Action)と責任ということに関して、多くの人が誤解をしています。大組織を率いるリーダーは大組織全体に対する責任がある、とみなさんは考えます。しかし「魂」的に言えばそれは違う。そのリーダーは、自分の Action 部分にしか責任はないのです。第三帝国を率いたヒトラーも、自分一人でそれを成し遂げたわけではない。ヒムラーもゲッペルスも居て、ユーゲントから一般国民に至るまでの全員の総合力でそれが成ったのです。そのゲシュタルト(統合)を構成した各人は、各人の Action の範囲内で、それぞれの責任があるのです。
ですから、リーダーにならなければ大きな責任を持たなくてもいいとか、何もしないことが責任回避の最善の道、などという考え方は、少なくとも「魂」の世界では通用しない、ということは覚えていてください。何もしないことは、〈何もしないという Action〉のあり方に対しての責任を、自分が負うということなのです。そして、「何もしない」ことは、「魂」の成長という観点から見た場合、進化の放棄という最低の生き方になってしまうのです。ですから、結果を恐れず Action し続けるという勇気が、ぜひとも必要なのです。
私は、中学3年の二学期まで、家で予習復習をしたということが一度もありませんでした(3年の二学期になって、受験のためにちょこっとだけ勉強)。塾にも行きませんでしたし、家にいる時は、絵を書いたり、工作をしたり、実験をしたり、歌を歌ったりして過ごしていました。私には特技というものがあって、人の名前や、年号、年月日、地名などがぜんぜん覚えられないのです。ですから、地理歴史の答案はほとんど白紙委任状状態。社会科の授業というのは本当に恐怖でした。
最近になって、その特技の理由が分かったんです。そういうことに一切関心がない!( 「それかよ!」ってツッコミが、いま3名分ほど聞こえましたけど)。それだけじゃなく、今まで隠していたんですが、関心のないものが他にもいっぱいある。お祭りや儀式の類いはことごとく。結婚式も法事もお正月もクリスマスも、自分の誕生日にすらも関心がない。それとギャンブルの一切。家族や血縁というものにも関心がない。でも、それらって、世間一般の人々からするとすご〜く変ですから、今までずっと黙っていたんです。
でも、いまカミングアウトする! した! 関心がなかったのは、今頃になってやっと解ったのですが、幼少の時から「今を生きる」という感覚だったんですね。それに、この世はしょせん幻ですから、地名や人名や年月日なんて記憶したところで、何の価値もないということを、心の奥底で知っていたんです。家族や血縁関係もかりそめのもので、本質は「魂」にあるんだということを、ボンヤリ知っていたんですね。でも子どもですから、周囲と比べて「自分はおかしいんだ」とずっとそう思っていました。
実際、周囲の人たちからは「偏屈なやつ」と言われて来ましたし、ある時など、オフクロから「あんたは縁の薄い子だねぇ」と面と向かって言われたこともあります。そうやって、在日宇宙人差別の冷たい視線に晒されて、自分の居場所がない苦しみを抱え、いつもビクビクしながら、暗がりの中をコソコソと、まるで野ネズミのように隠れて生きて来ざるを得なかったんです。そのトラウマをおおかた解消するまでに実に50年を要しました。ですから、「矯育」のヒドさというものが骨身に染みて解るんです。
今の政権になって、輪をかけてヒドいと思うのは、学校教育までも、電通やパソナと同じようにベネッセを一枚咬ませて、自分たちの利権にしようと企んだことです。いったい何を考えているんだと言いたいです。労働者をしゃぶり尽くすだけでは飽き足らず、次世代を担う子どもたちまで喰い散らかそうとしているんですからネ! そして、日本で最も道徳心のない人間が、道徳教育の必要性を叫ぶんですから、もうコントもいいとこです。そのコントに付き合わされる子どもたちの可哀想なことと言ったら。
でもこのコント劇。もっと深〜いと言うか、浅いと言うか、裏に隠れた意味があるんですよ。これは、Aさんの、母親に対する復讐心なんです。えっ、解らない? 自分の自由を奪った母親に対する潜在的復讐心を、当の母親へ向けるのではなくて、自分よりもより弱い立場の、次世代の子どもたち向けて行使しているんです。つまり、典型的ないじめっ子のパターンをやっているのです。
「えっ、そんなことなの?」と驚かれるかも知れませんが、そんなものなのです。どんな高い地位の人間も、虚飾を剥いでしまったら、実にたわいのない愛憎劇に突き動かされて行動しているだけです。「そんな程度のもの」を動機として、そこに屁理屈をくっつけて、その屁理屈の賛同者や協力者を集めて、それで(壮大に見える)歴史を動かしているのです。(よかったら、FBI のフーバー長官の生涯を描いた『J. Edgar』というクリント・イーストウッド監督の映画をご覧になってください)
子どもたちの「教育*」にとって、‥‥
*そもそもこの言葉がダメ。「教え育てる」というのは、大人視点による傲慢さ以外のなにものでもないと思います。何事によらず「教え」は全部 NG です。そこから、支配と隷属への道が開かれてしまうから。「教育」という言葉は、いっそ廃止してしまって、今後は、そのままで世界に通じる「エデュケーション」の語を使うようにした方がよいと思うのです。なぜかと言うと、動詞の「educate」の語源はラテン語で、それには「能力を引き出す」の意味があるから。
子どもたちの「エデュケーション」にとって、大切なのは次の3点です。
1)自分で考え、創造的に活動することの楽しさを体験し、身につけること。
→脱矯育
2)人には自由な選択権があり、成りたいものに成っていいのだということ。
→脱脅育
3)他者を尊重した交流は、お互いの人間性や技能を高め合えるということ。
→脱競育
これらを、生活に必要な基本技術の習得や、自然観察、土いじりをしたり動物を飼ったり、科学実験をしたり、芸術活動をしたりといった様々なプログラムを通して、子どもたち自身がリアルに学習して行く。大人たちは、そのための環境を整えることだけに専念すべきです。
『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』というドキュメンタリー映画があるのですが、その中にフィンランドの学校のエデュケーション場面が出て来ます。ぜひ観ていただきたいのですが、「ああ、エデュケーションというのは、本来こうあるべきなんだ」ということがよく解り、感銘を受けること請け合います。まさに目からウロコ。日本のひどい学校矯育とは雲泥の差で、日本方式に慣れきった目から見ると、驚きを隠せません。何より違うのは、文部大臣はじめ、現場の一人ひとりの教師にみんな理想と愛があること。Great !
そもそも、今に続く学校矯育システム(学制)が、日本に初めて出来たのは明治になってからのことです。「富国強兵」を掲げた新政府が、その基盤となる人材を早期に育成する必要に迫られたのです。早い話が、働きアリになる人(富国)と、兵隊アリになる人(強兵)が、新政府によって、その時点から拵えられたわけです。それは、欧米で先行していた近代型の「国民国家(Nation-state)*」を、日本でも早急に実現させることを時の政府がいの一番に図ったからでした。
*国民国家(Nation-state):国家への忠誠心を共通のアイデンティティとしていると想定される人々を〈国民〉として持つ領域国家を指す。フランス,英国など西欧近代の生みだした概念で,そこではnation(民族,国民)は単一民族ないし同質的集団と暗黙に前提されており,そのうえで国民主権,権力分立などの理念・制度が成立し,国旗や国歌などの国民統合のシンボルも創造された。(『百科事典マイペディア』より)
憂欲の人たちが好む「国家」という言葉と概念ですが、実はこのモデルはフランス革命(1789年〜1799年)以降に形づくられたもので、まだ200年ちょっとの歴史しかないのです。ですから絶対的なものなんかじゃない。それまでは、王族や貴族(日本の場合は武家)が自分の領地を治めたり、一つの部族が長を中心に支配地を治めたりしていました。それが近代になってから、段々と「Nation-state」に編集され直して行ったのです。
ですから、現在ある世界の多くの国々は、歴史的に何度も国境線が変わったりした結果、多様な人種や民族や言語が入り混じった形となっているのが普通です。ところが、世界でたった2箇所だけ、1300年以上も(見なしようによってはもっと長く)、ほぼ同じ領土で、同じ言語を話す民族が、変わらずに住み続けている土地があるというのです。それが、日本とサンマリノ共和国なんだと。
日本では、これに皇統といった概念も絡むので話がさらにややこしくなってしまうのですが、(憂欲の人たちが知ってか知らずかは判りませんが)日本においては、近代以降の「Nation-state」の概念と、倭国から続く日本国のイメージとがゴッチャになっているのです。そのことの是非を問うことはしませんが、ここでハッキリしておきたいのは、「国(Nation)」などというものは、所詮「イメージの世界(Imagi-nation)」の想像物でしかないということです。
つまりは、その人が抱く「観念」です。「観念」の中にしか「国家」は存在しない。そうじゃないという人がもしいるなら、その人にぜひ伺いたい。では、「国家」とは何か。「国家」をここに見せてくださいと。日の丸? それは単なるシンボルだ。シンボルを印刷した旗だ。旗に成形した布切れだ。早い話が、布切れの上に見い出した「観念」に過ぎない。
歴史教育は重要だと言われます。私もそう思います。でも、一般に言われている意味と、私が考える意味とは大いに違います。一般に言われている「歴史教育は重要」の意味には、子どもたちに「間違った歴史を教えてはならない」という意思が強く含まれています。でも、「正しい歴史」とか、「間違った歴史」というのは、いったい何を指して言っているのでしょうか?
「歴史(History)」というのは、His story(彼の歴史)なんだと。He(彼)というのは勝者のことで、勝者が自分たちに都合のいい歴史を勝手にでっち上げたものなんだと。例えば、戦後、GHQが日本に対して行った「WGIP」のようなものです。それはその通りで、いつの時代にも必ずそういうものがあったし、歪みを修正していくことは新たな「気づき」をもたらすという意味で価値があります。しかし、日中や日韓で行われていることは、大抵は「国家」観念を背景にした応酬合戦で、「観念」の不毛な泥仕合に過ぎません。
まさに、そこなんですよ。なぜ地球人は、不毛な泥仕合を延々と繰り返しているのか。今まで繰り返して来たのでしょうか。そこに「気づく」ことが、地球人が幼年期を卒業するための鍵となるのです。そもそも、同じ一つの事象を、複数の人間が同じように体験することなど不可能なのですし、認識の仕方も100人いれば100人がみな違うのです。ですから、これが「正しい」とか「間違っている」と言い合っても仕方がありません。大切なのは、その歴史に、人類として、どのような普遍的な意味を見い出すかという点です。
もし私が歴史授業の指導員になったら、何年に何が起こった、なんてことをひたすら暗記させるような馬鹿げたことは一切させません。4〜5人のチームを作って、各チームごとに一つの戦争をテーマとして、1年間に渡って、それを徹底的に掘り下げて研究して貰います。なぜそれが起きたのか。どこから歯車が狂ったのか。修正のチャンスというものはなかったのか。なぜ修正できなかったのか。どうして残虐な殺戮や破壊が許されたのか。そこにためらいや痛みは無かったのか。etc.
それらを徹底研究して、最後に発表し合ったら、結局「戦争」というものは、みんな同じ要因(それもメンタルなもの)が背景にあるということが解ると思うのです。それこそが、「歴史に学ぶ」ということの意義なのではないでしょうか。それこそが、未来を形づくる子どもたちが、古い世界のしがらみから脱却して、明るい希望に満ちた世界を想い描く礎になるのではないでしょうか。核戦争の悲惨さは、人類が一度経験すればもうそれで充分です。
「イイクニ作ろう鎌倉幕府」なんてことをいくら暗記したところで、それが何になるというのでしょう。今は、手元でチャチャっと検索したら、確かめたい情報は瞬時に分かる時代です。それよりも、なぜ今その情報を知りたいのか、確かめたいと思っているのか、という動機の背後にある、創造性の方がずっと重要です。いくらお勉強が出来ても、試験の成績がよくても、それで東大を見事に卒業しても、保身と忖度に長けた、嘘つきの犯罪者にしかならないのだったら、その「矯育」の成果というものは何なのでしょうか?
このような嘘つきの犯罪者で、かつ子どもたちを喰い物にすることしか考えていないゴロツキどもが、二世、三世、四世と世襲されて行き、その支配の下で自動搾取される次世代の奴隷が、学校「矯育」によって育てられているのです。このオートマタ(Automata:機械人形)の再生産の仕組みこそ、文科省が独占している「義務矯育」というものの正体です。しかし、あまりにもファンダメンタル(根本的)*な仕組みとして機能しているために、そこから逃れることはもちろん、正体に気づくことさえ難しい状態にあります。
*英語の fundamental には、mental(精神の)funda(基礎)の意味があります。まさに「洗脳」です。
「教育改革」などという生やさしいものでは、この仕組みの根本(funda-mental)を変えることは出来ません。そんな掛け声は、所詮は支配者の手の内で転がされているだけのものです。そうではなくて、この「矯育システム」そのものを場苦破、解体してしまうことが求められているのです。そうでなければ、あまりにも深く根づいてしまった「心理カースト」から、子も親も「自由」になる手立てはありません。今度のコロナ禍は、その見直しの、絶好の機会にすることが可能です。
日本には、国家という犯罪組織(正確に言えば国家を語る犯罪者集団)が運営する3つの凶育システムが国民の上に広く覆い被さっています。「学校制度」「医療制度」「介護保険制度」の3つです。多くの人はそれを「良いこと」だと思っていますし、国がする制度だから国民のことを考えてのことだろう、くらいに考えています。また、制度として、もはや当たり前になっているので、誰もこれを疑問に思ったりはしていません。けれども、これらにはみんな許認可権が絡んでいて、犯罪者集団の利権になっているのです。
そればかりではありません。この制度化によって、いつの間にか、知らないうちに、奴隷としての(正しい?)生き方を凶育されているのです。「学校制度」については既に言いました。ここでは「心理カースト」を徹底して植え付けられる。「医療制度」では、定期検診を怠たると人は病気になるものだ、病気は資格を持った医者にしか治せない、治す手段は薬と手術だけだ、という観念を繰り返し植え付けています。加えて、最近では、各種ワクチンをしっかり接種していないと、恐ろしい病気になるぞと脅しをかけている。
また「介護保険制度」では、人は歳をとったら、体は言うことを聞かなくなるし、人によっては認知症になる可能性もあるぞ、年寄りはいずれ誰かの世話にならなければ生きてはいけないのだぞ、という観念を植え付けている。このようにして、ご丁寧なことに、揺り籠から墓場まで(手厚く?)「恐怖心」を抱き続けながら生きる道を提示してくれているのです。そして、この「恐怖心」から逃れようと思ったら、制度にすがれ、制度に従順に従えと強いて来る。
かくして、大半の人々が、盲目的にこの罠に嵌められて、「鬱苦強い国」の実現に寄与する結果になってしまった。でもね、真に「恐怖心」から逃れようと思ったら、本当はこの逆を行かなければならないのですよ。そういう「仕組み」そのものから遠ざかること。いつまでも「仕組み」の中に組み込まれているから、恐怖心と依存心のアンビバレントが生じるわけであって、遠ざかってしまえば、その滑稽さ、馬鹿馬鹿しさ、茶番が手に取るように解るはずです。
「学校制度」は明治以来のものですが、「医療制度」に伴う「観念」は、この50年でしつけられたものです。「介護保険制度」に至っては、わずかこの20年で、新しい「観念」にすっかり置き換えられてしまいました。私が知る50年前は、医者に掛かるというのは一種の贅沢で、ちょっとした病気や怪我はみんな民間療法で治していました。また「介護保険制度」が出来てからというものは、ピンピンコロリ*というそれまでの理想形がどこかに吹っ飛んで、点数を上げるためには出来るだけ重症を装うという真逆の考え方に置き換わってしまいました。
*ピンピンコロリ:お迎えが来るその日まではピンピンしていて、その日が来たら、周囲に迷惑を掛けずにコロリと死ぬ、という死に際しての理想形。
いったいそれで、誰が幸福になっているのでしょうか? 介護される人でしょうか。介護する人でしょうか。介護される人の家族でしょうか。
私が思うに、日本におかしな考え方が根付いたのは、「支援」という言葉が社会に広く浸透するようになってからだと思うのです。一昔前には、こんな言葉は一般化していませんでした。これは多分、英語の「Support」を、日本語化して定着させたものだと思います。
困っている人を助けることはもちろん良いことです。ですが、「支援」という言葉が一般化し、さらに制度化まですると、各種の「支援」が、そのスキルを持つ人だけの専門の職域に変貌してしまいました。その結果、困りごとは、みんなその道の「支援制度」や「支援組織」に預けてしまえばいい、という暗黙の了解のようなものが社会に形成されてしまったと思います。人が死んだ後だって、あっという間に、葬儀社が一切合切をぜーんぶ片づけてくれます。
これらはみんな一つのパッケージで、困りごとは何でもその箱の中に放り込んでしまえば、もうそれで、困りごとを眼にすることが無くなるのです。でも、そのようなサービスを考案したことで、現代人は何を得て、逆に何を失ったのでしょうか? 「支援」という言葉の一般化は、一方で、「困っている人がいれば助けたい」という素朴な気持ちの、次への Action を妨げ、道端で倒れている人を見ても素通りするような行動を生んでしまっているのではないでしょうか。
このような、問題を「隠す」システムが、今や社会のあらゆるところで「支援」の名の下に用意されていて、人々は、無感動、無感覚、無関心をより一層強めていると思います。けれども、人を助けることは良いことですから、誰も「でも、何かおかしいよね。しっくり来ないよね」という思いがあったとしても、その声を上げられないのです。今だって、マスクをしないでちょっと往来に出たら、「良いこと」にすこぶる熱心な自粛警察の方々に、ものの2、3分もしない内にしょっ引かれてしまいます。
政府が「医療制度」を浸透させようとした際には、「ちょっとおかしいと思ったら、素人判断はせずに、直ぐに専門医に診てもらいましょう。素人判断は危険です」という宣伝文句を盛んに打っていました。そうやって、民間療法つぶしを図ったのです。それと同様のことを「介護保険制度」でも、今やっている。繰り返しになりますが、それでいったい誰が幸福になっているのか、ということです。介護の労働はきついし給料も安くて成り手がいない。それならば外国人を雇えばいいとか、玉突き的に話がヘンな方向に向かっています。
ここいらで、全部リセットした方がいいのではないでしょうか。揺り籠から墓場までの「3大凶育制度」に、根本的(funda-mental)な疑問符を突きつける時が来たと思います。「制度」には逆らえない。長い物には巻かれるしかない。そう、思ってやしないでしょうか? でも「制度」など、所詮は、その時代の〈人間が〉作ったものでしかないのです。インパール作戦をどこまでも継続するなんてことは不可能です。時代が変わったら、「制度」も自ずと変わるしかないのです。
みなさんに出来る上手な逆らい方があります。それは「場苦破」。「制度」への不服従です。戦ってはいけません。戦ったら負けです。嫌な「制度」からは出来る限り遠ざかった上で、自分の内から「苦」という気持ちを吹き飛ばしてしまうのです。何度も言って来たように、あなたは、その時々のご自分の「気持ち」を、自由に選べるのです。いつでもどこでも、楽しい気持ち、清々しい気持ち、人々が喜び集う理想の世界を強く想い描いてください。
それでも「制度」は、脅しを掛けて来るでしょう。しかしそれらには真面目に取り合わず、出来るだけヘラヘラとうっちゃってください。兵士になれと強制されても、誰一人なろうとしなければ、戦争は起きないのです。これは冗談ではなく、問題の根本を言っています。あなたが、あなたの内で想い描く「理想」には、誰も干渉することは出来ません。たとえ絞首刑になる寸前であっても、「理想」を抱き続けることは出来るのです!
矯育場苦破。
誰からの支配も受けず、寄せつけず、あなたの理想世界を、日々クリエイティブに、楽しく生きて行ってください。そのようなあなたに、幸あれ。