前アメリカ大統領のトランプさんが置き土産にしていった「機密扱いのUFO情報を公開するように」という行政命令が、期限が迫った6月25日に、米政府の報告書としてついに公開されました。さて、どんな「機密」が出てくるのだろうと思っていましたら、拍子抜けするような、当たり障りのない言葉しかありませんでした。要するに、2004年以降、アメリカ軍などの政府機関で「未確認航空現象」の目撃事例が144件報告されているけれども、結局それが何であるかはよく分からないと。
まあ、こんなもんなんでしょうねぇ。でもなぜ分析対象が2004年以降なんでしょう? どうして、それ以前の情報はないのでしょうか? 私が知りたかった1947年の「ロズウェル事件」の真相や、米軍の新兵器開発に闇系の宇宙人が手を貸していたとかの噂ばなしについては、結局のところ分からずじまいです。やっぱりそこは、公開できないということなのでしょうか? どうも、まだ隠していることがいっぱいありそうです。
UFOに関する話題がもっとも盛り上がっていたのは、1940年代の終わりから1960年代の前半にかけてだったと思います。ピンク・レディーが歌って大ヒットとなった「UFO」がリリースされたのは1977年12月。この歌は、小学生の子どもから、OLから、盛り場のオヤジまでが踊りを真似して腰をフリフリし、大変な騒ぎだったのですが、その時にはもう時代も捉え方もすっかり変わっていたのです。私としては「なんか、ズレてるなぁ」という感じで見ていました。
それに、阿久悠さんはピンク・レディーに「ユーフォー」と歌わせ、以降、日本ではこの言い方が定着してしまったのですが、これは「Unidentified Flying Object(未確認飛行物体)」の略語ですから、英語圏では「ユー・エフ・オー」と発音するのです。
ってことで、阿久悠さん! やらかしてくれはりましたなぁ。
さらに言いますと、「UFO」の呼称が定着したのは70年代以降で、アメリカ空軍の公式用語*であったこの言葉が、いつの間にか「宇宙人の乗り物」を指す言葉として世間に広まってしまったのです。「UFO」は、それが何なのか「確認できない飛行物体」を意味する総称ですから、「宇宙人の乗り物」を指した言葉ではなかったのです。ということで、70年以前は、「Flying Saucer(空飛ぶ円盤)」という言い方が一般的でした。
*なお、米国防総省は、2020年8月から、名称をさらに「UAP(Unidentified Aerial Phenomena)」=未確認航空現象に変えたのだそうです。そこには、「物体」かどうかも分からない、というニュアンスが含まれているのかも知れませんね。だとすれば一歩前進です。ピンク・レディーの同曲をこれからカラオケで歌う時には、「ウワップ」って言わなくちゃだね。
私が小学生だった1960年代には『週間少年サンデー』『週間少年マガジン』という2大少年誌があり、マンガが主ではありましたが、小説や生活に関する話題などもあって、大人向け週刊誌の子ども版のような体裁をしていました。巻頭はカラー刷りのグラビアページになっていて、大伴昌司さんの怪獣の解剖図解、太平洋戦争時の兵器の解説、と並んで特集記事として人気があったのが「空飛ぶ円盤」に関する情報だったのです。ですから、私と同じ年代の男性は、みな「空飛ぶ円盤」に関する基本情報を知っているのではないでしょうか。
以前、セミナーをやっていた時に、来られた方に「ジョージ・アダムスキーを知ってる?」と訊いたことが何度かあります。でも、知っていると答えた方は皆無でした。「え!、アダムスキー型円盤というのを聞いたことないの?」と尋ねても、みな首を傾げるばかりです。本当にびっくりしました。アダムスキーも、もう完全に忘れられた存在になってしまったんですねぇ。そりゃそうですよね。半世紀以上も前の話ですものね。2世代が通過しちゃってますからねぇ。
ジョージ・アダムスキー(George Adamski、1891 - 1965)は、ポーランド系のアメリカ人で、UFOを目撃したあと、実際にその搭乗者である宇宙人と接触した、いわゆる「コンタクティー(Contactee)」の代表的人物として知られています。
今回、生年と没年の確認のために『Wikipedia』をひいて見たのですが、記述内容はぜーんぜんダメです。「ああ、何にも知らないんだなぁ、結局は理解されないんだなぁ」と、ちょっと残念な気持ちになりました。
若い世代の人たちにとっては、もしかしたら初耳になるかも知れませんが、1950年前後の「空飛ぶ円盤」ブーム下では、今日ではあまり耳にすることのない、ある特徴的な現象が頻発していました。それは、一つには、「円盤」に搭乗していた宇宙人と面会したという人が何人も現れたということ。その中には、宇宙船内に招待された人もいたのです。その代表格が、ジョージ・アダムスキーでした。アダムスキーはまた、「円盤」とその「母船」の何枚かの写真撮影にも成功*していたのです。
*今日の視点からすると、解像度が非常に悪くボンヤリとしか写っていません。しかし、この「円盤」がいくつかの特徴的スタイルを持っていることから、これを「アダムスキー型」と言うようになったのです。
この話は、いま起きたとしてもかなり衝撃的でしょうが、これが70年以上も前に起きたのです。しかも、このような友好的なコンタクトばかりとは限らず、ぞっとするような事件も頻発していました。その一つが「Cattle mutilation」と言われるもので、牧場で、体の一部を切り取られた牛の死体が次々と見つかったのです。それともう一つは、「円盤」内に拉致されて、身体の一部分をサンプルとして採られたと証言する人も現れたのです。そんなことで、ある種の不気味さを携えて、この「円盤」現象が捉えられていたのです。
当時はまだ、H・G・ウェルズが『宇宙戦争』という小説内で描いたタコ型火星人と、宇宙人=侵略者のイメージが強く残っていましたので、地球人類の支援者という発想はほとんど無かったのではないでしょうか。しかし今では、宇宙人にも「光」系と「闇」系がいるようだ、ということが解っています。そして、私たちの知らないところで、「光」対「闇」の激しい攻防が展開されているようです。
でもなぜ、1950年前後に、突如アダムスキーをはじめとする「コンタクティ」が何人も登場して、「UFO」情報が一気にブワーッと花開いたというのに、その後はピタッと止んでしまったのでしょうか? 変だとは思いません? 1950年代と今とでは、テクノロジーの発達に関しては雲泥の差です。当時と比べれば、現代のテクノロジーは遥かに進化しているというのに、今もって「よく分からない」だなんて‥‥。
今日では「コンタクティ」としての位置づけすら忘れ去られてしまった感のあるアダムスキーですが、この時代に、アダムスキーらが登場したことの意義は、実はもっと別のところにあったのです。
それは、地球人よりも霊的に進化していた宇宙人が、アダムスキーとの接触を通して、地球人に、アダムスキーから「宇宙の真理」を伝えて貰う、というミッションを背負っていたのです。時は、核による東西軍拡競争がまさに始まろうとしていました。そのような時代に、宇宙の同胞が、地球人に対して、将来の危機に対する警告と「真の平和」のあり方を伝えようとしたのです。
アダムスキーは、8歳から12歳までの間、チベットの僧院に留学していたという特異な経歴を持っていました。つまり、コンタクティとしての資質を持っていたのです。おそらく、宇宙系の「魂」だったのでしょう。そんなことから、彼らに見い出され、接触を持つようになったのです。アダムスキーは、接触を重ねる中で、彼らから聞いた話を「宇宙哲学(Space Philosophy)」と名づけて、何冊かの著作にまとめ、さらに彼らの星に見学に連れて行って貰ったときの話などを加え、次々と出版して行ったのでした。
これは大変な評判を生み、一時はアメリカのみならずヨーロッパへも講演旅行に出かけたりしていたのですが、お決まりのように「インチキ」と罵倒する人々が登場したり、「闇」のグループ(アダムスキーは「Shadow Group」と呼んだ)の妨害に遭ったりするようになりました。極めつけは、信頼していた女性秘書が、アダムスキーを執拗に攻撃していた人物の側に回ってしまい、「アダムスキーのインチキを暴く」という活動を一緒になって始めたことです。
これは、彼にとっては、相当なショックだったことでしょう。結局、「宇宙哲学」をどれほど熱心に語っても、悲しいかな、解らない人には解らないということです。
しかし、それ以上に落胆したのは、このミッションを計画した存在たちだったのではないか、と私は思うのです。なぜなら、地球人よりも霊的に進化した存在(異星人)=それは、地球人から見れば、お兄さん、お姉さんの筈なのですが=の「こうしたらいいよ」という「宇宙哲学」のアドバイスには殆ど関心を示さずに、「UFO」とか「宇宙人」とか、スキャンダラスな話にしか、大半の地球人には興味がないということが、そこでハッキリしたからです。
私は、これが、その後ピタッと「Contact(面会)」が無くなってしまったことの最大の要因だったと思います。
このことは、ニール・ドナルド・ウォルシュさんの『神との対話』シリーズを読んだ際に確信しました。読まれた方はお分かりだと思いますが、この本は、ウォルシュさんとウォルシュさんが下ろした神の言葉との、漫才形式で進行するのです。「え、こんな手があったのか!」と、その手法にはびっくりしたのですが、同時に、素直さに欠ける地球人に、あの手この手を駆使して、何とか「宇宙の真理」を伝えようとしてくれている高次の存在の、ご苦心を想ったのです。
アダムスキーと同時代のコンタクティに、オルフェオ・アンジェルッチ(Orfeo Angelucci)という人がいて、彼が1955年に書いた『The Secret of The Saucers』も、この時代のミッションが何だったのか、どういう人物がコンタクティに選ばれたのかを伝えてくれるとてもよい本です。日本語の訳本はありませんが、インターネットを探せば一部の日本語訳と英文が見つかります。この本の中で印象深かったのは、アンジェルッチが病気をした際に、親身になって自分を世話してくれる同僚の姿の中に、自分が接触した宇宙人たちと同じものを見たと、彼が語っていることです。
アダムスキーの「宇宙哲学」に関する著作は、研究熱心な方以外は、敢えてお読みになる必要はないと思います。ウォルシュさんの『神との対話』シリーズや『セス・ブック』の方が、何倍にもバージョン・アップした内容を伝えてくれていますから。結局、「宇宙の真理」というものは普遍であり、真理の世界というのは無時間ですから、いつの時代であっても、同じ理解に到達するのです。
しかし、アダムスキーが、当時、何をしようとしていた人なのかは、知っておいて欲しいと思うのです。日本では、全集の翻訳をなさった久保田八郎さんが、なんとか「宇宙哲学」を伝えようと熱心に活動されていたのですが、今と違ってインターネットもない時代ですし、ごく少数の人にしか真の意図が伝わらなかったのです。それは今も変わらず、「UFO」や「宇宙人」に関する人々の興味はと言えば、スキャンダラスな域を少しも出ていないのですから、困ったものです。
こと「UFO」問題に限らず、他のあらゆるものに関して言えることですが、あなた方の大半は、物質界という、振動数の低い、ごく狭い、限定された領域から、広い宇宙を覗き見するという行動パターンをどうしても捨てられないし、捨てようともしないのです。そのため、自分が見知った世界や経験のみを「現実」と認識して、それを超えたものは、みな「不思議」とか「奇跡」とか「超常現象」という箱に放り込んで済ましてしまいます。
これはごくごく狭い世界から、広大な世界を見ようとするからそうなるのであって、真逆の視点に立てば、宇宙に不思議などは何もないのですし、逆に人間世界の方がすこぶる不思議というか、奇妙なのです。このことは、手を替え品を替え、これまでにも何度も語って来たのですが、残念ながら解ってくださる人がほとんどいません。私も、もうどうすればいいのか、途方に暮れています。
頭で解ろうとしたり、言葉だけを覚えたところでどうにもならなりません。「あ、そうか!」という感覚が、あなたの中心にポッと灯りをともすまでは。
結局、「波動」というものが理解できないし、知覚できないからなんですよね。でも、これは訓練によって開発することができます、と言ってあげても、誰〜れも取り組もうとはしない。やっぱり、ザルで水を汲みに来るだけ。今日は白糸の滝、明日は昇仙峡、明後日は神の子池という具合で、ザルを片手にあちこち観光に訪れるだけなんですよね。
なぜなんだろう? どうしてそんなことで満足できるのだろう? なんでオカルト的興味の段階にいつまでも留まっているのだろう? 私には解らない。
「UFO」が、なぜあのような飛び方をするのか。なぜ急にフッと消えてしまうのか。いったい推進装置はどうなっているのか。こうした疑問も、この世界の、現在の常識を物差しにして解ろうとしているから解らないのです。狭い覗き穴から、広い世界を見ているから、そのスリットを通した部分の現象しか見えないのです。
よいですか。「UFO」で現れる宇宙人たちは、地球人である私たちよりも、もっとずっと進化した生命体なんですよ。じゃあ、進化しているとはどういうことなのか。とっくのとうに「アセンション」しているということです。
私たちは今、身体を有して第3オクターブの世界(物質界)に暮らしています。そこでは、物質界を生きるために五感のセンサーをフル活用しています。このことは、ほとんど無意識的に行われ、誰もそれを超えた知覚については意識したことがありません。結果的に、五感に引っ張られて、己が「意識」を物質界に貼り付けた状態のままにしてしまっているのです。
この状態から、「意識」を引き剥がし、非物質的世界である第5オクターブに「意識」を上昇させて生きるのが、私たちが目指す「アセンション」です。つまり、身体は物質界に置いたまま、「意識」だけを第5オクターブに引き上げて、その感覚で普通の生活を送るのです。
ところが、彼ら、進化した宇宙人の「アセンション」は、これとは違うのです。彼らは第5オクターブ以上の領域を主体にして暮らしています。ということは、私たちのような物質的身体をもはや持たないのです。しかし、非物質的な身体はありますし、非物質的な街や自然の中で暮らしています。そして、彼らの中には、自分の身体を物質化させたり、また逆に非物質化させたり、同じことをテクノロジーを使って自由に行える種族もいるのです。
考えてみてください。1977年に打ち上げられたボイジャー1号と2号が、太陽系を出るまでには、実に35年も掛かっているのです。地球人が想像する宇宙航行装置で、どうやって太陽系外から生命体がやって来れるというのでしょうか。その常識的な思考がそもそも間違っているのです。そうではなく、彼らは、普段は非物質的領域に住んでいて、たまに物質化することによって、物質界に姿を現すのです。非物質的領域では空間の制約を受けませんから、宇宙のどこにでも物質化によって出現できるのです。
物質化、非物質化、というと「なに、それ?」と思うかもしれませんが、私たちも限定された部分ではありますが、それらを実際に見ています。例えば、ロウソクに火を点けると光を発します。これはロウという物質が光という非物質に転換したのです。また、植物は光合成によって、光を物質に転換しています。このように、物質化と非物質化は相互に転換が可能なのです。アインシュタインが示した E = mc² という公式は、この関係が正しいことを表しています。
また、彼らのテクノロジーは重力を自由にコントロールすることができます。ですから、推進装置によって飛ぶということではなくて、重力コントロールによって自由に座標の位置を移動できるのです。ところが、こちら側の発想である「飛ぶ」という概念で見ていますから、ジグザグに飛んだとか、急に消えたとか、そういう表現になってしまうのです。
ついでに言いますと、この重力コントロールと、物質化・非物質化の技は、古代の地球の達人たちも意思の力で行えました。ピラミッド建設の謎も、現在の常識で考えていますから、盛り土で長い傾斜をつけてそこを運んだとか、螺旋状に回って石を上げたとか、もの凄い人数の奴隷を使ったとかと言うのですが、そうではありません。石は物質化によって出現させ、重力コントロールによってこれを積み上げたのです。
また、マチュピチュの石組みがまったく隙間なく組み上がっているのはどうしてかと不思議がられるのですが、これも今日の常識的視点で考えているからそう思うのです。石を積んで、余分なところは非物質化してしまえば、ピッタリと隙間なく組み上がるのです。
大西洋状にあったアトランティス大陸も地殻変動で水没したと言われているのですが、そうではありません。地殻変動にはとても長い期間が掛かりますし、大地震が連続して起きたとしても、大陸全部が短期間で水没することなどあり得ません。また、水没したのなら、その痕跡が大西洋の底に見つからないのはどうしてなのでしょう? そうではないのです。
当時のアトランティス文明は高度に発達していて、水晶を用いた装置によって、空中からエネルギーを取り出して利用することが出来ていました。つまり、非物質的エネルギーの物質化利用です。ところが、ある日、これを誤作動させてしまったのが暴走し、逆作用してしまう事態となったのです。この結果、非物質化が連鎖的に起きて、アトランティスは大陸ごと、非常に短い期間で跡形もなく消滅してしまったのです。消滅すればそこには海水が流れ込みますから、これが水没の神話となったのです。
「UFO」の物質化ということに話を戻して、普段は非物質的存在である彼らが、なぜ姿を時々現すかと言いますと、物質化しなければ出来ないことを行なうためです。非物質的存在となっている時には、振動数がそのレンジ内にありますので、彼らが地球について知覚するものも、非物質的なエネルギーや人間が出す「意識」ということになるのです。
もちろん「意識」が行動を生むので、地球の状況はそのままでも大まかには把握できるのですが、物質レベルでの確認が必要な際には、乗り物ごと物質化して姿を見せるのです。つまり、偵察や特別な確認が必要な時、今は地球人として暮らしている仲間とコンタクトが必要になった時などに限って姿を表すということです。ただし、物質化・非物質化には多大のエネルギーを消耗するのでそう頻繁には行えません。
1950年前後には、将来の地球の危機を予測し、地球人に「宇宙の法則」に則った生き方を伝えるという大切なミッションがあったのですが、先に述べたように、地球人の興味が意図したものとは別の方向にズレてしまったために、それは行われなくなりました。けれども、地球人の意識がこれからもっと向上して、「宇宙の法則」を真摯に学ぼうという姿勢を見せるならば、彼らは再び現れて、惜しみない援助の手を差し伸べることでしょう。
私たちは今、過去6000年ほどの間に人類が作って来た、カルマの清算に遭遇しています。疫病と天災のダブルパンチは、アトランティス文明の消滅時と同じように、溜まりに溜まった人間の欲望の澱みを一掃する時期に突入したことを示しています。これは以前にも書きましたが、「浄化」というのはカルマの清算を受けることなのです。「浄」という字は「水」が「争」うと書きます。力強い水流によって澱みをすっかり押し流した後、初めてそこが清らかな場に還るのです。
大洪水に見舞われた中国を見てください。天災か人災か、などという議論は宇宙的観点からすればそれほど意味がありません。どうであれ、起きる時には起きるものだからです。必要があってそれが起きるのです。
「宇宙の法則」の極めてシンプルなものの一つは、〈自分が為したことは自分に返る〉ということです。与えれば与えられ、奪えば奪われる。憎悪すれば憎悪され、慈愛を向ければ慈愛が返って来る。
ただこれだけのことなのに、今の地球人にはまだそれが理解できないのです。支配欲に取り憑かれた狂人に媚びへつらい、我欲と嘘で塗り固めた権力を手にして喜ぶ者たちがいる。その権力者に操られ、操られた人がまた他の人を操るという、これまでの人間社会が、これからどのような「浄化」を受けるかは、容易に想像がつくのではないでしょうか。
闇の支配者や権力者が、「カルマの法則」と「輪廻転生の法則」をもしも知っていたら、そんなことは恐ろしくて、とても出来ないことでしょう。早い話が、「無智」だということです。「無智」な者に操られ、自分たちもずっと「無智」のままにさせられて来たのです。でもここで、視点をずっと上にあげて、宇宙から地球を見下ろしてみてください。なんとバカバカしい虚構の中で、人間たちはオロオロしているのだろう、とは思いませんか?
あなた方は、自身の「アセンション」の達成に向けて、3段階のステップを踏まなければなりません。
(1)自分が、社会の価値観とシステムにコントロールされていたと気づくこと。→ そして、それらからの自己の解放。
(2)自分が、精神的支柱を求め続けてそれらに依存して来たことに気づくこと。→ そして、そこからの自己の解放。
(3)身体の自分は仮の姿であり、本質は「魂」にあって永遠だと気づくこと。→ そして、その奥にある本当の〈自己〉の発見。
(1)をクリアできない者は(2)へは進めず、(2)をクリアできない者は(3)へは進めません。そして、(3)に至ってこれをクリアした時、(1)と(2)が、虚構に過ぎなかったのだと覚るのです。
ではなぜ、そんな虚構を生きねばならなかったのか? その時には、その人にはもう解っています。宇宙の営みは完璧であるということを。そして、それを司るものの愛の深さに対して、深く頭を垂れることでしょう。
あなたも、この激動の時代をチャンスと捉えてください。そして、共に「アセンション」を目指しましょう。「アセンション」を達成して、愛の波動を世界に送り届けましょう。