by Rainbow School
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日本画家、堀文子さん

堀文子さんという画家を知ったのは、戸井十月さんがインタビュアーを務めた2011年のNHK番組『群れない 慣れない 頼らない 画家堀文子 九十三歳』を観てからです。「こういう人が居らっしゃったのか」と本当に驚き、その生き様に感銘を受けました。

 

私の場合、日本画が好きということもあるのですが、堀文子さんには、それ以前に「人として凄い」と、ただただ感じ入りました。チェ・ゲバラやフィデル・カストロの評伝をまとめた戸井十月さんが、なぜ堀文子さんに接近したのかが、解るような気がします。銃こそ持たない(むしろ反戦)ですが、堀文子さんもやはり反逆の人なんですね。

 

堀文子さんの言葉を聞いていると「気概」というものを強く感じます。ナチュラルな反抗心と言ったらいいんでしょうか? 世論には動じないぞ、自分は自分の感性に従って自由に生きるんだ、ということを徹底的に貫いて画業を続けておられる。

 

42歳になってから世界を放浪したり、68歳になってイタリアに移住したり、82歳になってヒマラヤにブルーポピーを探しに行ったり。普通の人は、こんなことはとても出来ない。先ず勇気がない。作風も挑戦的にどんどん変えて行くし、根底には、やはり「人間は自由なんだ」という力強い意思というものが感じられるのです。

 

そして、作風は変えても、一貫して描いてきたのは「生命(いのち)」の流転ということ。この「自由」と「生命」という二つが、堀文子さんの生涯を通じたテーマになっていると思います。その意味で、堀文子さんは、間違いなく絵を通して語るメッセンジャーだと私は確信します。

 

お生まれは1918年(大正7)ですから、私の母親よりも一つ上だと思います。その年、第一次世界大戦が終了。5歳の時に関東大震災を経験します。麹町平河町生まれということで、1936年の「二・二六事件」は、自宅の目の前で騒乱を目撃。日中戦争、太平洋戦争では、兄と弟を亡くし、絵描き仲間の男たちもみんな戦死という中で、まさに生き延びてこられました。

 

ですから、激動の時代の目撃者としての確かな体験と、そのような中でも「生き延びてきた」という凄みのようなものがあるんですね。堀さんが仰られる。「自分を育てたのは乱世です。おかげで、ものを見る目がちゃんとするようになったし、ひとつの世論に動かされない人間になりました。」と。

 

ですから、この人の言うことならば「間違いない」という気に自然とさせられます。といって、女闘士という風では全然なく、どこかおかしさとユーモアがある。常識破りの真剣さというものは、きっとどこかにおかしみを持っているものなのでしょう。

 

終戦記念日特集ということで、先日Eテレで、堀文子さんのインタビュー番組「私の戦後70年『今、あの日々を思う』」が放映されました。この番組中でのご発言を拾って、心に刻みたいと思います。

 

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「自然は、どんな雑草も自力で生きている。死ぬまで生きている。自然は誰の力も借りずに、自分の出番を待ってちゃんと咲く。」

 

「夢をたくさん見るのですが、いちばん多いのが子どもの頃の記憶。そのまんまのものが甦ってくる。ですから、子どもに返ることが修行ですね。」

 

「世論に逆らうことは不可能に近い。人間が興奮状態になると、スポーツと、男と女のスキャンダルが大好きになります。似てるじゃないですか、今の時代は。」

 

「国家なり、権力に反対するには、相当の勇気と知恵がいります。下手をすれば牢獄に繋がれますから。何をするか分からないですよ、国家が野心を持つと。ですから私は、軍に捕まらない知恵は働かせていました。」

 

「何をやっても、上手ければ戦争に利用されますよ。男はみんな軍に使われました。」

 

「戦争に加担したくなかったので『美』に近づいた。『美』なんて何の役にも立たないですからね。国も《女子美術》なんて支配しない。しかし最後は支配されました。教頭が『あなたは誰のために絵を描くのか?』と言うので『私のために』と言ったら、それは危険思想だと。『天皇陛下のために描くと言え』と言うんですよ。そんな風になるんですよ、道を間違うと。今だってまたなりますよ。」

 

「戦争が終わってみると、みんな『自分は反対した』って言うんですよ。その時は黙っていたくせにね。」

 

「戦争の地獄を忘れてしまって、なんとはなしに今の政府が、もう一度勢いのある日本を取り戻したくなっているような気がして。自衛隊を派遣したいとか、憲法を変えようとか、いちいち言い始めているじゃありませんか。私はどんなに軽蔑されてもいいですけれど、言いますよ。他人の命で戦っちゃいけません。」

 

「あんな馬鹿な、無謀な戦争を日本人がする筈がなかったのに、日露戦争でちょっと勝ったので、あれではしゃいだんじゃないでしょうか? あれから日本が間違い始めたような気がします。」

 

「物事が一度崩れ始めると、ガラガラと崩れちゃいますよ。非常に危ない。今なら国民が競って反対すればいいんですから。だから崩れる前に騒がないとダメですね。いま騒がないと、日本がまた何をするか分からない。そういう気がして仕方がないです。」

 

「女とマスコミがしっかりしていれば防げると思っていたけど、今、両方が危なくなっている。女が、綺麗になりたい、おいしものが食べたい、若返りたい、子供っぽくありたいという風でしょ。アナウンサーまで子供っぽいヒーヒー声を張り上げている。成熟した大人の声じゃないですよ。敬語は無くなるしね。ですから、日本が危険な瀬戸際にいるように思えて、仕方がないんです。」

肉の喜び、魂の喜び
元プロ野球選手のKさんが覚醒剤使用の現行犯で逮捕されたそうです。私は薬物の使用ということについても、逮捕されたということについても関心はありません。薬物と犯罪性が問題だというのなら、政府は彼よりももっと大きな問題を起こしている。私はただ、これがKさんの「気づき」のきっかけになればいいんだけれど、と思うだけです。

Kさんが「気づき」を得るチャンスは、きっとこれまでにも何度もあった筈です。でも、行き着くところまで行かないと、人間というものはなかなか間違いに気づかないんですね。私も、カミさんの死というところまでとうとう行ってしまった。それでようやく、自分の生き方の間違いというものに気がついた。

Kさんのことは、昨年10月にも「KKコンビのその後」という題で記事を書きました。聞くところによると、Kさんは、もう一人のKさんの忠告を聞くこともなく、二人は3年前から疎遠になっていたそうです。

Kさんの覚醒剤使用についてはずっと噂されていましたが、最悪だったのは、Kさんが芸能界で再起を図ろうとしたこと。これで、「気づき」がさらに遅れてしまいましたね。果たしてネームヴァリュー以外の「芸」を、Kさんは持っていたのでしょうか? ご自分の甘さに、さらに砂糖をかける選択を、彼はしてしまいました。

私は、伊良部秀輝さんのことを考えると、ちょっと胸が痛くなるのです。伊良部秀輝さんは、表現者として生きたいと強く願いながらも、周囲との折り合いがうまくつけられなかった人でした。野村克也さんは、そこを、人気商売と割り切り《野村克也》を演じることで乗り越えた。落合博満さんは、有無を言わせぬ実績によって、周囲の圧力を跳ね除けてしまった。

いま挙げた三人は、みんなさんざんマスコミから叩かれた人です。対応は三者三様でしたが、共通していたのはみな「表現者」であろうとした点です。ところがKさんには、その点があまり感じられないのです。解りやすくいえば、野球へのLOVEです。Kさんには、いったいどの程度、野球へのLOVEがあったのだろうかと思うのです。

落合博満さんは、Kさんを評して「高校時代がいちばん良かった」と言いました。野村克也さんは、「甘やかした森(Kさんが入団した当時の西武の監督)が悪い」と言いました。10年に一人の逸材と言われながらも、若い時期に早々と栄光を手にしたことで、Kさんは却って、その後の人生を狂わせてしまったのではないでしょうか。

入団2年目の日本シリーズ第6戦。西武3勝で、大手が掛かった試合の9回ツーアウトの場面。あと1アウトで優勝となった時に、一塁の守備についていたKさんが感極まって泣き出し、試合が中断してしまった。あの時の、Kさんの初々しさが思い出されるのですが‥‥。

栄光がKさんにもたらしたものは、結局、肉(体)の喜びだったと思うのです。表現者としての喜び、つまり「魂の喜び」よりも、Kさんにとっては「肉の喜び」の誘惑の方が勝ってしまった。これが、Kさんがした選択の誤りです。なまじっか才能があったために、「魂の喜び」をとことん追求せずとも、そこそこの結果を出すことが出来てしまったのです。

それは体型を見ても解る。スポーツ選手にとっての絵筆とは、自分の肉体です。つねに最高の絵筆を使って最高の絵を描く。それが一流というものです。絵筆の手入れを怠っていて一流の絵が描ける道理がありません。某カルト教団の教祖が「自分は最終解脱者だ」と語っていましたが、あの体型でそれはあり得ない。それと一緒です。

「肉の喜び」というものは表層的なものに過ぎず、いっときはそれで楽しいと思えても、その喜びはけっして長続きせず泡のように消えていってしまう。だからすぐにまた欲しくなる。喫煙、飲酒、食べること、Sex、買い物、etc.。

誤解しないでください。これらをしてはいけないと言っているんじゃありませんよ。したらいい。生きるために必要なことだってありますから。問題は、中毒にならないようにするということ。それと、「魂の喜び」を意識するということです。

同じ「食べる」ということだって、「肉の喜び」として食べる、「魂の喜び」として食べる、では大いに違いがあるのです。でも現代人にはその差が判らない。コミュニケーションなき食事は「肉の喜び」しかもたらさない。ですからそれを続けていると、「魂」がちっとも癒されずに、やがて悲鳴を上げてしまうことになるのです。

多くの人はそれを無意識的に感知していて、それで居酒屋へ行く。仲間とワイワイガヤガヤやって、「魂の喜び」を得るために。これから食事をする時には、これは「肉の喜び」が何パーセントだろうか、「魂の喜び」は何パーセントだろうか、と考えてみるといいです。そして、出来るだけ「魂の喜び」を増やす工夫をしてください。

「肉の喜び」に落ちて、本当の「覚醒」というものが何であるかに、Kさんは気づけなかったんですね。
ミケランジェロを掘り起こせ
食にも京都にも興味があるので、NHKBSの『鴨川食堂』というテレビドラマを観ています。ドラマそのものは、う〜んという出来映えですが、ショーケン(萩原健一)さんのお顔を久しぶりに見られて嬉しくなりました。萩原健一さんにとっては11年ぶりのドラマ出演なんですってね。65歳になっていい味を出していると思いますよ。

以前の萩原健一さんは、セリフを言うときに息を呑む癖があって、何を話しているかよく聞き取れないことが多かったんですが、それもなく演技も上手くなっている気がします。

長いあいだ業界から干されていて、その期間は大変な御苦労があったと思うんですよ。何しろ表現者にとって、表現の場が奪われるというのは死を宣告されたに等しいわけですからね。ですから、そこを耐えて、乗り越えて、復活する(re-criation)エネルギーに変えていったというのは、素晴らしいことだと思うんです。

ショーケンさんというのは、「自由」に生きたかったんですよね。それは本来的に間違ったことじゃない。「魂」そのものは「自由」なんですから。ですから正直な人なんですよ。ところが、業界やマスコミや世間は、色メガネでものを見たり、人を型にはめることをやめようとはしない。その中で、「自由」の行使をちょっと狂わせてしまったんですね。

表現者にとって(本来、誰もが表現者なわけですが)、「自由」の爆発というものは、内なるエネルギーの放出であって、生きることそのものなのです。ですから子どもを見ると、それを何の躊躇もなく実行していますよね。「魂」は永遠だということをまだ覚えていて、瞬間々々を楽しく生きているのです。

ところが成長するにつれて、あれをしちゃダメ、これをしちゃダメ、こうするべき、こうであらねばならないと大人たちから教えられ、人間はいつか死ぬものだと吹き込まれる。こうして、瞬間々々を楽しく生きる日々が終わり、代わって「不安」に苛まれるようになってしまうのです。強烈な個性を持った表頑者というのは、正直な分、そこで生じる葛藤を上手く処理できないんですね。

勝新太郎さんは、正直を通し切ることを選んだけれども世間には理解されませんでした。伊良部秀輝さんは、無理解の人々に怒り、そして軽蔑し、その葛藤の中に沈んでしまいました。報道陣に向かって「あんたらに、ミケランジェロの気持ちなんてわかってたまるか」と言ったことがあったそうですが、伊良部さんの「心」の状態をよく表しています。

松田優作さんは途中で気がついたんです。どうすればいいかということに。そこで、今世の目的をちゃんと果たして、帰ってゆかれた。それは何かというと「愛」への目覚めです。周囲や世間の無理解を超えるには、結局「愛」しかないということです。抵抗、軽蔑、憎悪、無視では果たせない。「自由」の反対側にこれらを置いてはダメなのです。「自由」との最高のカップリングは「愛」です。

人々は、そしてマスコミは、他人の「転落の物語」を常に期待しています。うずうずして待ち構えています。それは、ミケランジェロほどの才能を持たない者たちの「嫉妬」なのです。「嫉妬」することで、自分の表現願望の代替手段としているのです。そんなことをしたところで、自分が高まるわけではないのに、人々にはそれが解らないのです。

他人に「嫉妬」するヒマがあったら、「自分を表現しろ」と言ってあげたい。今すぐ「行動せよ」と言ってあげたい。誰にも才能があり、誰もが表現者であるということに気づいて欲しい。あなたの中に仕舞っているミケランジェロを掘り起こせ。そして周囲に「愛」を示す人となれ。
内村鑑三は「語り手」の一人
NHK BS『100分 de 名著』の1月は、内村鑑三の『代表的日本人』でした。内村鑑三については教科書で知った知識しかなく、ずっと「キリスト教」信者だとばかり思い込んでいました。でもこの番組を観て、内村鑑三も「語り手」の一人であったことを知りました。

語り手:宇宙の真理を説く人。いつの時代にも登場し、表現は違っていても、そこで説かれている言葉は、時代を超えた普遍性を持っている。歴史的に著名な人も、市井の無名な人もいる。

今でこそ、イエスとキリストは違うということ、いわゆるキリスト教は純然たるイエスの教えではないこと、を知るようになりましたが、以前の私は、大多数の人と同じようにそのことに関して全く無知でした。結局、内村鑑三は「キリスト教」の信者ではなく、真のキリスト者だったんですね。そのことが、内村鑑三が語った言葉の端々に見てとれます。

内村鑑三が登場した明治は、文明開化と言われた時期で、即物的なものに人々の目が惹きつけられた時代です。そうした風潮のなかで、内村は天とのつながりという、目に見えないものを重視することを説きました。また、第一高等中学校の教師をしていたとき、発布されたばかりの教育勅語への最敬礼をしなかったとして「不敬」のそしりを受け、体調を崩して退職を余儀なくされます。

これを見ると、いつの時代もあんまり変わらないんだなぁと、つくづく思わされます。本質を見抜く目がなくて、人々が大好きなのはレッテル貼り。内村の「不敬事件」では、東京帝国大学の哲学者井上哲次郎が急先鋒となって内村を激しく攻撃しました。しかしその井上も、後に頭山満らから不敬だと批判され公職を追われているのですから、いやはや。

こんな人たちに、内村が語ったことの真の意味が、解るわけがありません。内村は、「教育」を無知な人に何かを教え込むためのものとは考えませんでした。それぞれの人には、「真の人間」としての可能性が予め備わっていて、それを「思い出させる」のが「教育」の役割だとしたのです。そして、一人ひとりの肉体的・知的・霊的特性に応じて導いてあげるのが教育者の務めだと言った。

さらに、『後世への最大遺物』と題する講演会では、「高尚なる勇ましい生涯を生きよ」と学生たちに説き、その意味をこう説明しています。「高尚なる勇ましい生涯とは、私が申すまでもなく、諸君もわれわれも、前から承知している生涯であります。」 この《前から承知している生涯》というところに注目していただきたい。これこそ、「真理の法則」が説くところ、そのものです。

そして、「先生のようになりたい」という若者に対しては、「私のようになるのではなく、私の独立を真似なさい。私が私であるように、あなたはあなたであれ」と言い、「独立」を強調しました。これもまた、「真理の法則」が説くところ、そのものです。

「不敬事件」の渦中、内村はインフルエンザに罹り、一時は生死の境を彷徨いますが、妻加寿子の看病によって回復します。ところがそれと入れ替わるようにして加寿子も倒れ、2ヶ月後には死んでしまうのです。その時の体験を、内村はこう語っています。

「私の愛する人は、生涯の目的を達しました。彼女の生涯そのものは、小さな宇宙の出来事に過ぎなかったかも知れません。でもその小宇宙は、いま彼女を霊化して、大宇宙へと導く階段へと変わったのです。」(口語訳は不肖今成)

解説の若松英輔さんも奥さんを亡くされたとのことでしたが、非常に深い洞察力を持った素敵な方でした。
良寛さんはズルい人
Eテレの『100分 de 名著』の12月は良寛さん。良寛さんの名前を知らない人は、あまり居ないでしょうね。越後の出雲崎に生まれ、詩人・書家として生きた人。つまりはアーティストです。でも良寛さんの名を有名にしているのは、その生き方。七十四歳で生涯を終えるまで、粗末な庵に一人住んで乞食僧として過ごしたことにあります。

これが「清貧」の生き方だとして、現代でもてはやされているわけです。この番組でも「清貧」ということを強調しています。でも私は、そうじゃないと思う。良寛さんというのはズルい人で、「ズル貧」だったと思います。そして、そのことを自分で分かっていたと思います。

良寛さんを「清貧」にしてしまったのは後年の人であって、良寛さん自身は「清貧」を生きようとしたわけじゃないと思うんです。ちょうどイエスを、神の子として奉り上げたように、後年の人が勝手な理想像を、良寛さんに仮託してしまっただけです。

アーティストとして生きる時に、いつも問題になるのは、どうやって喰っていくかです。通常は、作品を売ることを考える。その時、同じ売るのでもより高く売るために、著名人になることが先決だと考えるアーティストだっている。そこで、絵画ならば画壇といわれるグループに所属し、パーティー外交を繰り広げ、時には政治を使ったりしてのし上がる。

この世というのはそうしたものだし、それはその人の生き方ですから、とやかく言えないのですが、一方でそれを激しく嫌うアーティストもいる。商売が絡めば、どうしたってそこに俗物根性が入り込む。それと、アーティストとしての純粋性とがぶつかって折り合いをつけることが出来ない。そういう人は、極端な場合「売らない」と決めてしまうことになります。

前にこのブログで書いた、ロベール・クートラスはそういう人だったし、田中一村さんもそうでした。ゴッホは別に「売らない」と決めたわけではなかったけれど、生前は一枚も絵が売れませんでした。このように「売らない」「売れない」というアーティストは、当然、著名にも成りようがないので、自分と自分が生み出す作品に純粋に向き合うしか無くなっていく。

それは、もの凄く孤独な世界なんですね。他の人がとうてい入り込めない。下手をすれば発狂しかねない。その自分の「心」をなんとかコントロールしながら、いかに作品を作り続けていくかという生き方に、自然となって行くわけです。良寛さんは、それだったと私は思います。

じゃあどうやって喰っていくんだとなった時に、良寛さんは乞食(こつじき)を選んだ。他の人から施しを頂く生き方です。これを「清貧」と呼ぶことには抵抗があります。だいいち「清貧」という言葉が私は大嫌い。良寛さんだって、近所の人に「味噌をくれ」とズーズーしくおねだりしているよ。

良寛さんの「生」があるのは、周囲の人々の施しのおかげであって、そのことを考慮せずに、良寛さんの生き方を「清貧」というのは筋違いではないでしょうか。仮に、この「清貧」の生き方が素晴らしいと言って、みんなが「清貧」を目指したらどうなるでしょうか? 施しをしてくれる人が誰も居なくなって社会が成り立ちません。

だから私は「ズル貧」だと言うのです。乞食(こつじき)というのは、その覚悟をもって臨むのであって、これを「清い生き方」にしてしまったら、まともに働いている人に申し訳ないと思う。

ロベール・クートラスは乞食すらせずに餓死寸前だった。田中一村さんや石田徹也さんなんかは、アルバイトをしながら絵を描いた。こっちの方が、ずっと「清貧」じゃないかと私は思う。

良寛さんは僧籍があったので得をしました。托鉢行が社会に広く認知されていましたから。同じことを、もし田中一村さんや石田徹也さんがやったとしたら、果たして施しを貰えたでしょうか?

誤解のないように言っておくと、別に良寛さんの生き方がダメだと言っているんじゃないですよ。乞食僧というのは、何も珍しいものじゃない。私の父方の祖父だって乞食僧でした。それを現代の尺度で捉えて「清貧」というのは、ちょっとズレていませんか、ということです。

ちなみに新潟県長岡市の隆泉寺にある良寛像は、私の母方の伯父(故人)の手になるもの。伯父は画壇に入り、政治を駆使した方のアーティストでした。
水木しげるさんの『幸福の七カ条』私流解釈
昨日、水木しげるさんの『幸福の七カ条』を紹介して、「よ〜く解る」「『真理の法則』に寄り添ったことを、身近な言葉で語っている」「七カ条は『心』の段階的な成長を示している」なーんて書いたのですが、一応、私流の解釈というものを書いておきますね。(あくまで「私流」だからね)

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
この第一条は、実は第二条、第三条とセットになっているのね。特に第三条の、
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
とは、こうして並べて見れば解るように、対句になっています。

第一条だけを読めば、この文は単に「戒律」になってしまうのですが、続く第二条、第三条に、それを履行するためのヒントが書かれているんです。つまり、自分がせずにはいられないことを、とにかく楽しくやっていたら、成功や栄誉や勝ち負けなんか、自然と考えなくなっている。そういう心境になってしまうということです。

でも年齢が若い時は、みんな成功願望が強いので、そこはやっぱり「戒律」的に取り組まないと、そこを乗り越えるのが難しい。ではどうして、人は成功や栄誉や勝ち負けを目的にしてしまいがちなのかというと、その根本原因は「他人との比較」にあるんだ、ということが第三条に書かれているわけです。そうではなくて、「あくまで自分の楽しさ」を追及しなさい、とここで言っているんですね。

でも「自分の楽しさ」と言ったって、それが何であるかが、自分自身よく判らない。そのような時には、
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
と、「しないではいられないこと」を先ず見つけるように促しています。そしてこの「しないではいられないこと」は、私がいつも言っているように、自分の外側ではなく内側にあるということですね。

さて、なんとか第一条から第三条までに取り組めたとしても、時にフッと「これでいいのだろうか?」と、心が揺らぐ時がある。たとえば、役者に成りたいと東京に出て来て劇団に入ったけれども、30歳過ぎても芽が出ない。周囲を見れば、結婚して家庭を持つ友人たちがポツポツ出て来た。こんな時に、世間の一般常識に負けてしまいそうになるんですよね。

それで、
第四条 好きの力を信じる。
です。本当に「好き」だったら、それを信じて楽しめということです。逆に「苦しい」「楽しめない」となったら、それはもう見切り時なのかも知れません。「しないではいられないこと」じゃなくなっているのかもね。

さて、第一条から第四条までを、必死に取り組んで努力したところで、それで成功して収入が得られるようになるとは限らないよ、というのが、
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
です。それじゃあ、努力損じゃないか、と思うかも知れませんね。

でも、成功なんて時の運なんだから、最初から「人生そんなもの」と割り切っていればいい。
決して「努力してもムダ」と言っているんじゃないよ。「努力」はやっぱりしなくちゃいけないが「報われないことが多いよ」と言っている。でもいいじゃないですか、好きなことに打ち込んで楽しければ、というのが第五条。

さて、ここまで来て、第六条は意表をつく次の言葉。
第六条 怠け者になりなさい。
えっ、怠け者だって? その前まで「努力しろ」って言ってたじゃないか、と違和感を感じませんか? これはね、いつもいつも気を張り詰めるような「努力」の仕方じゃいけないよ、ということです。

水木さんは、手塚治虫さんのような、何日も徹夜して漫画を描き続けるといった姿勢を批判して、自分は「毎日10時間寝る」と言っていました。実際にそうだったかは判りませんが、寝ないこと自慢をするような業界風潮に、「ちょっと違うんじゃない?」と言いたかったんですね。

第一に、緊張し続けていたら、ある日、糸がプッツリということになりかねない。(実際、手塚治虫さんは、61歳の若さで没)第二に、のめりこみ過ぎは、新しい視点を育てない。自分のみが正しいと思い込むようになって、別の可能性や、未知のものへの学習が疎かになってしまう。ですから「努力」し続けるためには、怠け者になるべし、と言っているんですね。

そして、最後の極め付きがこれ。
第七条 目に見えない世界を信じる。
これは、妖怪のいる世界を信じなさい、と言っているんじゃないんですよ。これまでの文脈を考えてみてください。ここで急に「妖怪」じゃおかしいでしょう? これはね、「価値観を逆転させなさい」と言っているんです。本当の「価値」というものは、見えない世界にあるんだよ、と言っている。

「成功や栄誉や勝ち負け」に拘らずに、「好きの力を信じ」て、自分の内側から沸き起こる「しないではいられないこと」を、たとえどんなに「楽しく」し続けたとしても、その「努力は人を裏切る」ものなんだ、と水木さんは言う。さて、そうなった時に、いったいそれのどこが「幸福」なのか、と思いませんか? むしろ「不幸」そのものではないか、とは思いませんか?

ここで「価値観の転換」というものが必要になって来るのです。人間にとっての「幸福」とは、最後の最後は、自分が「楽しい」と感じている「心」そのものにしかないんだと。だから自分が「楽しく」感じ続けていれば、他の誰がなんと言おうが「幸福」なんだと。そしてそれが、「見えない世界」のセオリーだということを、ここで示しているんです。

さあそこで、第一条に「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。」と書かれてある意味がより鮮明に解るのです。「成功や栄誉や勝ち負け」というのは、この世の「見える世界」の価値観であって、それは「幸福」の本質ではない、ということですね。

水木しげるさん、この解釈で合ってるかな?
水木しげるさんという人と生き方
漫画家の水木しげるさんが、11月30日、93歳であちらへ帰られました。(うちの母親と同じ歳だ)水木しげるさんといえば、すぐに『ゲゲゲの鬼太郎』ということになるのですが、実は私は、漫画もアニメも殆ど観ていません。私が好きだったし共感したのは、〈水木しげる〉という人間そのもの、〈水木しげる〉という人間の生き方です。

水木さんは、奇人・変人の代表のように言われたりしているようですが、私から見ると、極めて真っ当な人。元々が高い霊性の持ち主であって、自分の「魂」の声に耳を傾け、その声に正直に生きた人です。これほど正直に生きた人はあまり居ないんじゃないだろうか、と思います。その凄さです。

ですから私から見ると、極めて真っ当な人なのですが、世間一般からは、どうも愛すべき奇人・変人と見なされてしまうようです。
その水木さんが語る『幸福の七カ条』というのが、話題になっているようですね。

幸福の七カ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

これも全て、私にはよ〜く解るのです。全てが極めて真っ当。「真理の法則」に寄り添ったことを、身近な言葉で語っている。水木さんは、きっと中国の「老子」のような人だったと思う。
だからね、この『幸福の七カ条』も、「十カ条」でもなく「五カ条」でもなく、ちゃんと神秘数の「七」にしているでしょう。

しかも、この「七カ条」は、単に思いつくままを箇条書きにしたんじゃないんですよ。第一条から第七条までが、「心」の段階的な成長を示しているということに気づきませんか? そして最後を「目に見えない世界を信じる」で締めているんです。

この最後を、多くの人は「妖怪」の世界のことを言っていて、水木さんのユーモアだと捉えているでしょうね。でも違うんですよ。水木さんはもっと大きなこと、根源的なことを言っているんです。「目に見えない世界の方が、実は本当なんだよ」と教えているんです。

私が「水木しげる漫画」に初めて接したのは、鬼太郎ではなくて、1963年発表の『悪魔くん』でした。これを9歳の時に読んでいたわけですが、いま考えてみると、凄い漫画だったなと。

ストーリーの背後にあるものが遠大過ぎて、小学生にはよく解らないのですが、そこに出て来る得体の知れないものについては、どれも強く印象に残りました。これで、千年王国とか、メフィストフェレス、ファウスト、サタン、ソロモンの笛、魔方陣、エロイム・エッサイムといった言葉を覚えました。

水木さんは大変な勉強家だったので、『ヨハネの黙示録』やら、ゲーテの『ファウスト』やら、ユダヤの秘教『カバラ』までをもごった煮にして、漫画に詰め込んじゃったんですね。そんなもの、小学生に解るわけないよー。

鬼太郎のキャラクターがヒットして、極貧から脱し、安定収入が得られるようになってよかったけれど、〈水木しげる〉という人は、それだけじゃないということです。
もっと大きな人。宇宙的な人です。だから、水木さんの顔は、晩年になるほど良くなっているでしょ。

赤塚不二夫さんとギャグ漫画論
私にとっての漫画体験は、何と言っても、赤塚不二夫さんの『おそ松くん』であり、イヤミの「シェー」なのでした。床屋さんに行くと待合室に漫画雑誌が置いてあり、そこで『のらくろ』や『ロボット三等兵』『赤胴鈴之助』を観たのが漫画体験の最初だったのですが、それらはどれも古臭く、大人が作ったもののような感じがして面白くはありませんでした。

そこに『おそ松くん』が登場したのです。これは子どもの心そのもので、たちまち惹きつけられました。次々に登場するキャラクターやギャグも、新鮮で飽きさせませんでした。『少年サンデー』を買うお小遣いが貰えなかったので、毎週友だちの家に言って読むのが楽しみでした。

でも私にとっての赤塚不二夫さんは『おそ松くん』で終わり。その後の、『天才バカボン』や『もーれつア太郎』は、あんまり読まなくなって行きました。

晩年、赤塚さんは、自身の「ギャグ漫画論」というものを語ることが多かったのですが、そこでいつも言っていたのが、ギャグからナンセンスに行って、最後はシュールにまでなったと。その過程はよく解るのですが、それを語り出したということは、もう現役ではない、その先が掴めない、という不満が、赤塚さんの中に渦巻いている顕われだったと私は思います。

ギャグ漫画家の宿命として、同じ笑いは二度使えないというのがあります。これはお笑い芸人などにも言えることなのですが、同じことをやったら、すぐに「そりゃ、前にも聞いたよ」ということになる。そこで笑いを商売にする人は、常に、客の先へ先へと開拓していかなくちゃならない。これが苦しい。ストーリー漫画家に比べ、ギャグ漫画家は短命で終わるというゆえんです。

この葛藤を超えようとした場合、大きく二通りの道がある。一つは、赤塚さんのように、前のパターンをどんどん壊して行く。いい意味で、読者の期待を裏切るわけです。「ほう、こう来たか!」という驚きを出して行く。それが、ナンセンスを超えてシュールにまで行っちゃったということ。私が大好きな、しりあがり寿さんはこのタイプ。

もう一つは、あえて同じパターンを繰り返し、それを独自の「芸風」にしてしまうというやり方です。この代表は、何と言っても秋本治さんの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。1976年の発表から今だに続いている。映画の『寅さん』もこの方式。古典落語はみなこれで、漫才でも、夢路いとし・こいしさんなどのしゃべくりは、もはや「至芸」と言われる。

さて後者は、笑いを「芸風」に引き上げることによって長続きさせることが出来るのですが、前者はそうはいかない。前のパターンをどんどん壊して行くので、しまいには壊すものが無くなって、カラッポになってしまう。最後は自分がスカスカになってしまうという、恐ろしい危険な道なのです。でも、そっちを行きたい、追求したいというのが赤塚不二夫さんでした。

シュールを突き抜けてしまった赤塚さんは、もう漫画は描けずに、パフォーマーとして生きていかれた。自分自身を表現として、そのハチャメチャぶりで、世間の人を驚かすという方向に進んでいったのです。最近になって知ったのですが、この過程で、フジオプロのかつての同志たち(古谷三敏さんや長谷邦夫さん、北見けんいちさんら)が、呆れて離れて行ったらしい。

こうしてパフォーマーとしての活路を見出した赤塚さんでしたが、これはさらに危険な道でもありました。持ち前のサービス精神、もっと先を行って周囲を驚かしてやろう、が今度は自己破壊へと向かわせてしまった。こうして、晩年はアルコール依存症に苦しみながら、昔話と正統「ギャグ漫画論」を語る存在という風になっていった。

以上は、私の勝手な分析・解釈なのですが、若い時にスターダムにのし上がった人というのは、案外その後の生き方が難しい。なぜかというと、その時点での評価とイメージが、いったん確定してしまうからです。人生を考えれば、この先もまだまだ成長があるはずなのに、自分のイメージが世間から決定づけられてしまう。

これに商売が絡むと、イメージを守ろう、保とうとする考えと、イメージを変えたい、次を目指したい、という考えの葛藤が起こることになります。歌手やバンドの引退騒動や分裂・解散騒動は、みんなこれが原因で起こっているのです。赤塚不二夫さんという人は特異な人で、スターダムにのし上がっても、次への変化しか考えていなかった。

そこでふと、前に書いた作詞家のまど・みちおさんのことを考えるのです。まど・みちおさんも若い時に『ぞうさん』というヒットを飛ばした。しかし、そこからどう成長するかといった時に、まどさんは、外側(読者)に意識を向けるのではなく、自分の内側に意識を向けて行った。そこが赤塚さんとは正反対だったと思うのです。

そこに鍵がある、と私は思うのです。
まど・みちおさんの絵
作詞家まど・みちおさんのことは、以前にも一度書いたことがあると思います。童謡「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などで知られ、2014年に104歳で亡くなられました。自分は、2010年に放映されたNHKスペシャル「ふしぎがり〜まど・みちお 百歳の詩〜」を観て、この人は凄いゾと思いました。しかしそれはまだ、まどさんの凄さの半分も見ていなかったことが分かりました。

9月27日のEテレ『日曜美術館』で、「まど・みちおの秘密の絵」という番組があり、まどさんが絵も描かれていたということを初めて知りました。それはただ、自分の隠れた内面を外へ押し出すために描かれたもので、クレヨンとボールペンで描かれ、発表されることもなく、自宅の押入れに仕舞い込まれていたというのです。

その絵がまた素晴らしい。まどさん自身は、絵画技法など何も知らず、シロウトという意識をずっと持っておられたようなのですが、内面の表出が、言葉ではなく「絵」というスタイルを持っただけで、結局その素晴らしさというのは、まどさんの内面の凄さということに行き着くわけです。

ゲストが谷川俊太郎さんで、生前親しくしていた谷川さんは、まどさんのことを「宇宙的な人」と言っておられるのですが、私も同様のことを感じていました。早い話が、まどさんというのは、宇宙に近かった人、もっと端的に言えば宇宙人だったと言えると思います。まどさんが書かれた詩は、宇宙に開かれた「窓」だったのです。

そのまどさんが、50代になって詩作を離れ、およそ3年半のあいだ絵に没頭した。描いても描いても、描きたくてしかたがない。それくらい内面の感覚がどんどん溢れ出てくる。それを谷川さんは、氷山の水面下に隠れている部分と指摘されたのですが、言ってみれば、童謡で表現することは許されない、まどさんの内面のダークサイドの部分、心の動揺だったわけです。

50歳前後といえば、私もそうでしたが、自分の生き方に迷いが生じる時期です。それまでの、ただ勢いや、周囲の動きに合わせて仕事を続けてきた生き方が、しだいに出来なくなって来るのです。若いころとは違った意味で、また人生の意味を考え出すようになる。まどさんは「言葉はチャチだ」と語っていたということですが、詩人なのに、言葉では表現しきれない壁を発見してしまったわけです。

そこに絵を描く時間が挟まった。そして、ダークサイドの部分、迷いの部分を、3年半に渡って絵を描きまくることによって殆ど出し切り、そこで、表現者としてのその後の生き方が定まったわけです。自分の内面を出していくということに、さらにピュアになっていった。ここが凄いと思うのです。鍋をグツグツ煮続けて、アクを(アクは悪に通ず)を全部取りきってしまった。

いつも、人間、歳を取れば取るほどピュアにならなければいけないと思っているのですが、まど・みちおさんの生き方は、一つのお手本を示していると思います。
谷川俊太郎さんのコメントも的確で、解る人には解ると思います。

三宅一生さんのかっこよさ
貧困層に転落してから、全身ユニクロの着たきりスズメ状態を余儀なくされ、ファッションとは全く縁がない生活になってしまったのですが、三宅一生さんのドキュメンタリー番組『三宅一生 デザインのココチ』というのがあって、とても興味深く観ました。

「トレンド・ファッションを創っているわけじゃなくて、自分たちがやっているのは表現だから」と三宅一生さんは語ります。

若い時分の私は、パリコレというものが全く理解できませんでした。「なんで、こんな着られないような服を作るんだろう」と思っていました。でもそれが「服」を通じた表現であると知って「ああ、こういう世界もあるんだ」と知りました。それからファッションが好きになりました。(見るだけですけど)

1970年代から、日本のデザイナーが一斉に世界で羽ばたくようになるのですが、三宅一生さんは、エキゾチックな顔立ちもあって、断然かっこよかったです。1980年代には空前のDCブランドブームが起きて、ブランド名を覚えるのにまあ忙しかったけれど、今はどうなっているんでしょうねぇ。

プレタポルテ(フランス語: prêt-à-porter)の業界が、今どのようにして成り立っているのかは知りませんが、ずっと独自の道を追求してこられて、なおかつ営業的にも成功されているというのは、立派です。それもやっぱり、三宅一生さんの人柄なのかなぁと、番組を観て思いました。

「たかが服」ということを知った上で、でもそれが好きだし自分は表現を追求していく、という姿勢に、愛と情熱が溢れている。若いスタッフたちにも、怒鳴りつけたり、癇癪を起こしたりすることなく接し、各人の持ち味を引き出すように、けしかけていく。デザイナーであると同時に、よき指導者として後進を育てようとしている姿には、懐の深さを感じました。

イサム・ノグチさんと親交があったということなのですが(道理で、照明器具デザインは似た雰囲気があるなと思いました)、香川県高松市の『イサム・ノグチ庭園美術館』で撮影しているんでしょうかねぇ、石をバックに、ダンサーが三宅一生さんの服を着て踊るパフォーマンスもなかなかステキでした。

【NHKBSプレミアム】4月23日(木)午後10時〜11時(再放送)