by Rainbow School
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権力者の末路

今の人間社会では、少数の権力者に統治を委ねるという形の政治機構が主流となっています。私たちはその前提のもとに暮らしているので、この政治機構自体について疑問を持ったりすることは殆どありません。けれども、これは人類の進化の過程で、少しずつ変化しながらそうなって行ったものであって、現在の形が最良だというわけではありません。

 

絶対君主制が主流だった中世の時代を経て、今は殆どの国が議会制民主主義を採用するようになりました。これは人類にとっては一つの大きな進歩です。主権は一部の特権階級にあるのではなく、民衆のもとにある(民主主義)ということを明確にしたわけですから。人間に優劣というものは無くみな平等だということに、それだけ接近したわけです。

 

ところが、その民主主義を実現させるための手段として採用した「選挙制度」なるものが、果たして理想的に機能しているかと言えば、とてもじゃないが合格点とは言えない。明らかに欠陥があります。選挙制度は、考え方としては悪くはなかったのですが、代表者を決めるのは、結局「得票数」ただ一本です。多数が勝るという考え方のみで、その内訳については問われないのです。

 

すると、「得票数」というものがいろんな面から操作できてしまうということと、選ばれた人の人間性は全く問われない、という大きな問題が生じてしまいます。現在の選挙制度は、正にそれが最大限悪用されています。そもそも選挙は、理想主義を母体として初めてうまく機能できるものですが、それに参加する人間の人間性(霊性)が、その理想主義にまるで追いついていないのです。

 

「信なくば立たず。国民の信頼の上に政治活動があり、政策実行も国民の信頼が基礎だ。そのためにも、国会議員、政治家は、しっかりと自らの行動を律する必要がある」これは、2016年2月10日の衆議院予算委員会で、答弁に立った安倍首相が述べた言葉です。私もその通りだと思います。安倍首相は『論語』のこの言葉がお好きなようで、今年7月19日の緊急記者会見でも「信なくば立たず」と言っています。

 

しかし、安倍さんのこれまでの言行を見てきてお分かりのように、この言葉は、この方の身体の中に全然浸透していません。「本当にその通りだ」という体験や感慨がない。英単語の暗記と同じような、単なるフレーズでしかないのです。『論語』の言葉は、理想主義に基づいていますが、「選挙」で選ばれて国会議員となり、そして最高権力者となった安倍さんには、理想主義の基盤はゼロです。

 

ですから平気で嘘をつける。有権者を愚弄できる。おそらく、安倍さんには自分が「嘘をついている」という感覚はないでしょう。自分は、自分の信念にしたがってやっている。祖父が成し遂げなかったことを自分が絶対にやって見せる。そのためには、人脈も、金も、接待も、裏社会も、法律も、警察も、国会も、内閣府も、メディアも、こんな人たちも、論語も、嘘をつくことも、みんな手段としか考えていないのです。

 

24日の衆議院閉会中審査でも、安倍さんは、前言とは矛盾のある嘘をつきシラを切り通すという道を選択しました。「この人の信念は凄い!」と、私は感心しました。「カルマの法則」を、たぶん安倍さんはご存知ないとは思いますが(知っていたら、とてもこんなことは出来ない)、自分で蒔いた種は自分で刈り取ることになるという重みを背負ってなお、嘘を貫き通すことなど、常人に真似の出来るものではありません。

 

「中途半端がいけなかった」という反省に基づいて、そのような道を選ばれたのでしょうが、安倍さんの「魂」は、時代の要請に答える役割を、正に身を挺して演じてくれていると思います。壁に空いた穴を補修しようとして土を塗る。でも塗り方を失敗してまた塗る。このようにして嘘の上塗りを続けていけば、厚塗りになったところがいつかは自重に堪え兼ね、ポロッと剥がれ落ちてしまいます。

 

何度も言って来ましたが、今の地球は、宇宙からの強い光が当たっている大きなサイクルに突入しています。この光に闇が照らされ、今まで隠されていたいろんなことが明るみに出ているのです。闇に暮らし、闇の世界を今まで謳歌してきた人たちは、この変化に戸惑っているのですが、急な明るさは眩しいので、今までの闇の暮らしをなんとか続けようとします。

 

しかしこのような試みは、まるで大河の流れに逆らうようなもので、どうやっても所詮は無駄なことです。ところが、闇の世界にいる人たちは今の宇宙サイクルを知らないので、河に突っ支い棒を立てて、なんとか今まで通りを維持しようとします。でも水の抵抗は増々大きくなって来るので、突っ支い棒を2本、3本と立て増しして急増の掘っ建て小屋を作ろうと焦る。

 

でも、河の流れ自体が止まるわけではないので、突っ支い棒は1本抜け、2本抜けして、結局、最後は時代変化の流れに全部流されてしまうことになるのです。ここで、「彼らにも、いつか天罰が下る」というようなことを言おうとしているわけではありません。宇宙には「天罰」などありません。それは人間が考え出したこと。宇宙にはただクールな法則があるだけです。

 

安倍さんを含めた内閣の人や、今度の事件の関係者の人々が、それぞれどうなるかは分かりません。人間社会から見れば、まんまと逃げおおせる人も、中にはいるかも知れません。けれども「宇宙の法則」から逃れることは、いかなる「魂」にも絶対に出来ません。自分が撒いた種は自分が刈り取る。これが冷徹な「カルマの法則」であり、自由と責任ということの意味なのです。

 

みなさんは今、安倍さんというキャラクターの登場を通して、人間社会が次に進歩していくべきプロセスを学習しています。一連の事件、そしてそれが明るみに出て来ている今の過程を、そのように見ていただきたいのです。安倍さんの踏ん張りは、今度のチェンジは上辺だけでは済まさないぞ、腐敗した権力構造の奥の奥まで見せてやるぞ、という時代の要請に応えてくれているのです。

 

すでに、日本国民はかなりのことを学習しました。メディアは内閣支持率のことばかり言っていますが、数字に表れないところで、人々の意識転換がかなり進んだのです。先ずはメディア・リテラシー(情報を見抜き、使いこなす技術)が上がりました。これには、政府御用メディアの頑張りも効いています。読売新聞も全社一丸となって、体質をさらけ出して貢献しました。

 

そして、人々の人間を見る目も上がったと思います。どの人が正直者で、どの人が嘘をついているかを、言葉ではなく、表情や態度や雰囲気で読めるようになりました。失言を見逃さず、その発言の裏にどんな人間性が隠れているかまで見抜くようになりました。

 

国会議員や地方議員の方々、メディア関係者の方々は、こうした人々の内面の変化、認識の変化に、気づいておられるでしょうか? これからは、そうしたリテラシーが前提となるのですよ。

 

私はマスコミは一切見ないのですが、インターネットを見ていますと、安倍政権をちょっとでも批判した人物に対しては、すぐにその人物の人格攻撃をする動画が作られています。一説によると、内閣によってそういうサイバー部隊が組織されているということなのですが、目的がそもそも歪んでいるために、その歪みが全部、言霊(ことだま)となって表れています。

 

「フルボッコ」とか「完全論破」とか「こいつの本性を暴いたぞ」とか、いかにも知性のない言葉を並べ立て、アクセス数の表示までも2万、5万と操作し、あたかもケタ違いの賛同者がいるように見せかける。その数が、ついには10万、50万とエスカレートしているアホらしさ。彼らも仕事なんでしょうが、そうやってやればやるほど、自分の本性が伝わるということを解っているのかな? 小賢しさに生きていては、本当の賢さに目覚めることは叶いません。

 

そんなわけで、インターネット・リテラシーもずいぶんと上がってきていると思います。これらはみな必然で、時代の要請に応じて、それぞれの役割をそれぞれが演じてくれているのです。すべてがドンピシャで、計画通りに進んでいます。でも、選挙という仕組み、統治というあり方にまで目覚めるのには、まだまだ時間が必要でしょう。

 

一連の流れを通じて、みなさんによくよく知っていただきたいのは、「波動は正直」ということです。「波動は嘘をつけない」ということです。政治家がどんな言葉を発しても、どんなに取り繕っても、もうあなたはそれを見抜く。あなたには「波動」を見抜く力が備わっているということです。

権力者の姿

権力者には、権力者の地位に着くことが目的の権力者と、人々の住みやすい暮らしと幸福実現の理想を持って、そのために権力構造を活用しようとする権力者がいます。ところが今の人間社会においては、後者は圧倒的に少ないのです。殆どいないと言ってもいい。これは今の人間社会が、基本的に欲得を基盤として動いているためです。

 

イ・ビョンフン監督の韓国宮廷ドラマでは、王様は常に民の幸福を考え行動しようとしているのに対し、高級官僚である両班(ヤンバン)の中に派閥があって、王様をお助けしようとする一派と、権力を利用して私腹を肥やそうとする一派が暗闘を繰り広げるというのが、いつもの筋書きとなっています。

 

これは王様に、そういう理想像を仮託して描いているわけで「現実にはそんな宰相なんていないよね」「いたらいいけどね」というのは、韓国人ならずともみんな分かっていることです。とにかく、政治家の汚職、腐敗、堕落というのは世界中の国々で見られ、日本も最低レベルにあります。

 

2016年7月10日の参議院選挙では、自民党が大勝したわけですが、「ああ、これでまた自分の首括りロープを、多くの人が用意したんだなぁ」と、この時は本当にガックリ来ました。小泉政権誕生(2001年)の時には、恥ずかしながら私もまだ見抜けなくて、自分の首括りロープをせっせと用意した口です。でも一度騙されれば、もう充分。

 

2016年の参議院選挙では、若者の多くが自民党に投票したという分析がなされています。どこにも拠り所となるものが見られない、この不安な時代に、外敵を想定して強い国家主義を掲げることは、確かに分かりやすいフラッグ(旗)ではあります。

 

でも、国家主義を掲げる人たちというのは実は対米追従でしかなく、本音では国民のことなど何も考えておらず、国を憂える人たちの方が逆に「反日」と言われているネジレ現象までは、さすがに若い人たちにはまだ見抜けなかったのでしょう。ちなみに私は、愛国でも反日でもなく、国家は、地球上の地域行政単位に過ぎないと思っています。

 

もう、国がどうのこうのと言っている時代じゃありません。そんな考えは狭いし古い。同じ情報が一瞬にして世界を駆け巡る時代に生きているんですよ。もっと地球的、いや宇宙的に思考する必要がある。私たちは、みんな同じだということを知る段階に来ています。そうでなければ、人類の進歩はありません。

 

2016年選挙にはガッカリした私ですが、今は考えが変わりました。今の安倍首相と内閣は、私たちに「権力者の姿とはこういうものだ」ということを、身を挺して示してくれていると思っています。なにもかもが必然です。私たちは、単に「安倍やめろ」ではなく、ここから「権力者」というのはどういうものかを学ぶチャンスを与えられています。

 

「嘘つきは政治家の始まり」と、前に私は書いたのですが、日本国の総理大臣になるためには、この資質だけではどうやら不充分なようです。これにさらに「恥知らず」「強弁」「すぐにカッとなる性格」「知性がない」「ルビ付きの原稿なしでは語れない」「外交センスがない」ことも、重要な資質のようです。とまあ、皮肉のひとつも言いたくなりますよねぇ。

 

どうもゴメンナサイ。安倍さんと私は同い年だから、これくらい許してね。

 

国家主義を標榜する人たち、愛国を謳い、日の丸を掲げ、現政権に何が何でも味方するぞという人たちに言いたいです。上の資質プラス、内閣がみな税金泥棒、かつ秘密警察まで組織して法を無視する国家が、あなた方が志向する理想国家なのかと。この状態をもし憂えるのであれば、あなたはたちまち「反日」側に立つことになるんですよ、と。

 

森友・加計学園問題での安倍総理の言動を見ていて、私は最初、不思議に思いました。「もし関与があったら議員も辞める」と自分で言っておきながら、その後、関与の証拠がたくさん出て来て、バーベキューの写真やら、昭恵夫人が「男たちの悪巧み」と題してSNSに投稿した写真まで出る始末で、どこからどう見ても真っ黒なのに、シラを切り通すというこの感覚です。

 

以前なら一大疑獄事件になったはずなのに、また以前の政権ならちょっとしたスキャンダルでも内閣が吹っ飛んだはずなのに、もの凄い幼稚さを発揮することで逆に踏ん張っている。そりゃあ、マスコミを手なずけている、警察・検察を押さえている、官僚人事は全部握っているという、権力をほしいままにしているということは解りますよ。

 

私が解らないのは、「人間として」という感覚です。少しは胸が痛まないのだろうか? この強弁はいったいどこから来るのだろうか? 安倍さんは自分の人生で何が楽しいのかなぁ? 昭恵夫人という人の感覚もよく解らない。関係者が祝杯を挙げている写真を Twitter に投稿して、しかも「男たちの悪巧み」というタイトルを付けるセンス。う〜ん。

 

そしたら、「この事件の最初に、すべてが示されているよ」というメッセージがやって来ました。「え、どういうこと?」と聞き返しましたが、答えはありません。しかし数秒して、「なるほど!」と膝を叩きました。事件は、幼稚園で始まり、小学校を開設しようとして頓挫した。この経過が明るみに出たのです。

 

「あなたたちは、小学校はまだ無理ネ」という明確なメッセージです。この事件に関連した、一連の内閣側の言動を見ていると、これを大人たちがやっていることだと思うから不思議に感じるのであって、幼稚園で繰り広げられていることだと見れば、すべてに納得がいきます。ここで幼稚園、小学校というのは「霊性」の成長段階のことです。

 

「人間性」というのは、「霊性」を下敷きにして、(身体を持つ物質的次元に)表出されているものの一部で、「人間性」が優れている人、徳の高い人というのは、それ以前に「霊性」が高いのです。逆に言えば、「霊性」が低い人は、どこをどう取り繕ったところで、高い「人間性」を示すことはできません。必ずボロが出る。

 

ここにA少年とB少年がいるとしましょう。どちらも、幼稚園で他の子たちに意地悪をしたり、他の子の持ち物を横取りしたりしています。ある時、そのことがバレてしまった。保母さんたちの追及に、A少年は「ごめんなさい。意地悪して僕が悪かったです」と言ったのですが、B少年はそうしませんでした。

 

「僕が悪いんじゃない。Cが僕をいじめるから、僕は反撃しただけなんだ。悪いのはあいつなんだ」そう言って、いつも徒党を組んでいるE少年を呼びつけて「いいかい、あのことは黙っているんだぞ。聞かれても『知らない』って言うんだ。そうしたら君にいいものをあげるからね。ついでに、分からないように、Cの奴をとっちめちゃってくれよ」

 

7月1日の秋葉原での、安倍さんの「こんな人たち」発言は、確かにマズかった。代議員というものが、有権者の代表としてあることや、民主主義(主権は民衆にある)という立て前を、完全に無視する発言を、国の長たる内閣総理大臣がしたわけですから。けれどもそれ以前に、安倍さんの「人間性」がそこに如実に表れている。

 

「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」と、殆ど反射的に安倍さんは言いました。ここに、つね日ごろから思っていることが、全部出ているのです。「こんな人たち」と「私たち」を分けて考える。しかも「私たち」の方が上だという意識。そして、「こんな人たち」に「勝つ」ことが至上命題だと、彼は思っているのです、本気で。

 

それがいったいどこから来たのか? 私には、幼い安倍少年が、母親の愛を得ようとして、気に入られようとして、必死に奮闘している姿が見えます。安倍少年は、「あなたも、お爺さまのような総理大臣になるんですよ。お父さまは道半ばで叶わなかったけれど、あなたがその敵(かたき)を取るんですよ」と言われて育ったのです。

 

安倍さんには結局これしかありません。タカ派的な発言をしていますが、この人に国家観や理想といったものは無く、「敵に勝って、お爺さまの悲願を自分が成し遂げる」しかないのです。タカ派的な言動は、祖父や母親との関係で培われてきた自分の想いを、国家対国家という図式に、単に投影しただけです。「私たち」を脅かす「こんな国」に負けるわけにはいかない!

 

すべてを貫いているのは、母親によって、また名門という家系によって刷り込まれた「信念」です。麻生副総理も、家系によって刷り込まれた「信念」で動いている。早い話が、庶民というのは下等な連中くらいにしか思っていません。目的が全然違うのです。欲しいのは権力であって、人民への奉仕などは露ほども思っていません。

 

ですから、目的である権力を失ったら、アイデンティティ・クライシスが起きてしまう。自分は何者なのかという、それを保証していた肩書きが無くなってしまう。肩書きがなくなったら、空っぽ(お金はたっぷりありますが)になってしまう。そのことは自分がいちばんよく知っているので、必死になってしがみついているのです。

 

菅官房長官が「地位に恋々として」と言っていましたが、これは自分のことを言っているのです。ネットでも新聞でもテレビでも、相手を陥れようとして、時々酷いことを言う人がおりますが、同じものを見ても、人は自分のメガネの性能以上のものは見られないのです。自分の色メガネに照らして周囲を見てしまうということです。

 

ですから、誰かを陥れようとして発する誹謗中傷の汚い言葉というのは、全部自分のレベルをさらけ出しています。ターゲットにした相手を、そのように見たいということです。それは、自分の想いの投射、自分の「人間性」の投射なのです。今の政権を批判した人物は、ネットですぐにバッシングされていますが、意図とは逆の効果しか生んでいません。読売新聞も自分をさらけ出しました。

 

「僕は何も悪いことしているわけじゃないんだけど、僕を貶めようとして印象操作をする人がいるから、つい強い口調で反論してしまうんだ。だからそこは反省しなくちゃと思ってます」と、側近の作文による、奇妙な反省の弁を述べた舌の根も乾かないうちに、秋葉原で印象操作?をする人に、つい強い口調で「こんな人たちに、負けるわけにはいかない」と言ってしまう幼稚さ。

 

国民の多くは、誰が嘘を言い、誰が真実を述べ、どの人の「人間性」が高くて、どの人が幼稚園レベルかということは、みんな分かっています。「人間性」の低い人たちだけが、自分のことが分からないのです。「こんな人たち」と「私たち」は、別人種なんだと思っているから。

 

アベ友というのは言い得て妙で、何度も言ってきたように、同じ波長の者たちは引き合います。ですから、アベ友の人たちというのは、同じレベルの波長を持つ人たちが集まっているということです。盛り友と家系ファーストで生きている。この、霊性が幼稚園レベルの人たちに国が動かされているので、信じられないような光景を私たちが目にしているというわけです。

 

前川さんも仰っていましたが、私は、7月5日付で国税庁長官になった佐川さんを気の毒に思います。佐川さんはこの人事を受けるべきではありませんでした。栄転とか論功とかと言われていますが、そうではありません。これは口封じです。口封じの方法には二つあって、抹殺するか、側近にするかです。金王朝を見れば解るでしょう?

 

佐川さんには何度もチャンスがあった。「NO!」と言うチャンスです。この人には、自分が大蔵省に初登庁した時のフレッシュな意気込みを思い出して欲しかったです。それが、自分の意志に反して巻き込まれて、そのままズルズルと行ってしまった。佐川さんはそんなに無恥で強い人ではありません。表情にすでに怯えが見られます。

 

これから彼は、針の筵でしょう。なにしろ税金泥棒が国税庁の長官になったのですから、示しがつきません。みんな税金を払うのが馬鹿らしくなってしまうでしょう。払った税金は、アベ友に渡ちゃうんですからね。もし査察に入られても、「関係する書類は全て廃棄しました」「担当者は目下、病気療養中」「うちのシステムは即座にデータが抹消される仕様になっております」と言えばいい、というお手本まで示したわけですから。

 

国民の怒りを集めただけでなく、同時に、税務に関わる職員全員の信頼を、地の底に落としたのですから、大変な禍根を残しました。一度失われた信頼を取り戻すのは容易ではありません。もしあなたが職員だったとして、こんなトップが栄転で来たらどうしますか? その人物を尊敬できますか? 「よく頑張ったね、守り通したね、あなたこそ役人の鏡です」って言いますか?

 

佐川さんは、国民の怒りと、職員の冷ややかな眼の、両方の巨大なネガティブ・エネルギーを、これからずーっと全身に受けなくてはならなくなったのです。果たしてそれに耐えられるかどうか。私なら3日で胃に穴があく。家族も、その低いエネルギーに合わせなければいけなくなったわけで、耐えきれなければ、家族間に亀裂が生じるかも知れません。

 

国税庁長官の地位が、果たしてそれと引き換えにするほどのものであったのか。魔が射すというのは、本当に恐ろしいものだと思います。佐川さんには「いつでもやり直せるからね」と言ってあげたいです。もちろんこれは霊的な意味においてですけれども。安倍さんにも菅官房長官にも、その他の閣僚にも、同じ言葉を言ってあげたいです。いつでもやり直せるからね。

 

ただしそのやり直しをするためには、地位、名誉、名声、金、敵味方、に関する今までの「信念」をスッパリ捨てなければなりません。実にここがポイントです。ある人にとっては別に何でもないようなことが、ある人にとってはもの凄く難しい。それだけ強い「信念」に洗脳されているためです。でも本人は、自分が洗脳されているとはちっとも思っていないのです。

 

「自由」というものの裏側には、「捨てる」ということがあるのです。一つ捨てれば、一つ自由になる。そしてぜーんぶ捨てれば、人は完全な自由になるのです。でも全部捨てたら空っぽになると信じ込んでいる人は、怖くてとてもそんなことは出来ない。自分の本質が何かということを、考えたこともないし、全く知らないのです。どうせ最後は、誰でも全部捨てることになるのに‥‥。

 

今度の事件は、枝葉末節を取ってしまえば(もちろん、枝葉末節を明らかにすることは必要で、そこから転換が始まるのですが)、根っこにあるものは幼稚園レベルの話でしかありません。安倍さんは、そのことを、身を挺して、頑張って、国民に知らしめました。そういう役割をこなしました。これを無駄にしてはなりません。

 

私たちは、権力者から、実に様々な刷り込みを受けていますが、そういう権力者たちそのものが、非常に低レベルの刷り込みを受けて育った人間たちであるということを、この機会に、みなさんがしっかりと学習して欲しいのです。同じことを何度も繰り返すのは、もう止めにしましょう。ここを超えなければ、人間の進歩はありません。

 

都議選では「都民ファースト」が圧勝したわけですが、既成政党の凋落と新興勢力の大躍進という、いま世界中で起きているムーブメントと同様のことが首都東京でも起こったにせよ、それがいま言った構造からのジャンプを示しているのかと言えば、決してそうとは言えないでしょう。やはり、振り子を逆振りしただけなのではないでしょうか。

 

政治家は「政策」ということを言いますが、短期間の選挙で、「政策」を見て判断するなどということは、どだい無理です。しかも、今やマニフェストなど、当選後は平気で破るというのが当たり前になってしまいました。かといって、怒りやムードで代議員を選んでしまったら、また裏切られるということになってしまいます。

 

いちばん確実なのは、「人間性」を見ることです。その人の思考も言葉も行動も、すべては「人間性」から発せられます。ですから、よい「人間性」を持った人は、必ずよい政治をしようとします。そういう人を見出して、政治の世界に送り込むのです。ただしそうなるためには、有権者自身が先ず変わらなくてはなりません。

 

冒頭で〈今の人間社会が、基本的に欲得を基盤として動いているため〉と書いたのはそこです。出身校や家系や肩書きなどに惑わされることはもう止めにしなくてはなりません。今度の事件は、素晴らしい人物もいることを、対照的に、見事に炙り出してくれましたね。これもご計画であり、必然なんですよ。

 

腐った政治家の二世、三世、四世は、もう要らないのです。腐った家系の、腐った薫陶を受けて育った坊ちゃんお嬢ちゃんたちに、よき政治を期待してもどだい無理です。政治は期待するものではなく、監視するものです。森友・加計疑獄事件は、そのメッセージをハッキリと訴えかけています。今度の事件を通して、幻想の世界から目覚めて、真理の世界をしっかりと見ていただきたく思います。

正直者は馬鹿を見ない

恐怖政治がまかり通る社会が、着々と進展しています。しかしそういう体制をむしろ好み、賛同している人も多くいるのですから、もうどうにもなりません。人類というものは、結局、賢くなれないのかなぁと考えてしまいます。過去に、何度も何度も同じ悲惨さを経験して来ているというのに、また同じ方向に進んで行くのですから‥‥。

 

そうさせているのは、つまるところ、人間が持つ「欲」です。株価のアップダウンを見れば一目瞭然。バブルが弾け、「◯◯ショック」というものが起きて、みんな「困った、困った」という事態になっても、「こういうシステムが、そもそもおかしいんじゃないか?」「もうやめようよ」という人はいない。事態が沈静化すると、またぞろバブルを期待する方向へとシフトして行く。

 

戦争だって、原発だって、みんな同じです。「もう二度とゴメンだ」「こんな危ないものはコリゴリだ」と一度は口にしても、しばらくすると、またそっちへ声高に誘導する人が現れて、いつの間にか多くの人が後をゾロゾロと着いて行く。反省とか、学習経験というものが、残念ながら人類には殆ど見られないのです。

 

どうしてこんな、不毛が繰り返されるのでしょう?

 

それは、誘導する人と、後を着いて行く人の、心の奥底に眠る「欲」が一致するからです。ただ、一致するといっても質が少し違う。扇動する人は、「欲」を、「これは大衆を誘導するための、いちばん有効なツール」と意識した上で使っています。でも大衆の側は、その意図を知らないで、ただ乗っかって行く。乗せられて行く。

 

結局は、「欲」というものが、人類にとっての猛毒なのですが、あまりにもシンプルな結論ですし、「欲」を否定してしまったら、今の経済活動が全部成り立たなくなってしまうわけですから、その奥の部分には触れないで、もっぱら上っ面の現象面についてだけ、あーでもない、こーでもないと議論をしているのです。

 

想像してみてください。もしも、経済学者や政治家が、「今の貧富の格差の原因は、一体どこにあるとお考えですか?」と問われて、「それは、人間の欲にあります」と答えたとしたら。たぶん、「こいつはアホか」と思われてしまうでしょう。そこは、宗教家が語る領域ということになっていて、でも宗教家が語ったとしても、実社会に反映されることは決してないのです。

 

つまり、今の人間社会では、真実というものが牢屋に入れられ、隔離されてしまっているのです。

 

一人ひとりの心の中に、みな「欲」が眠っていること、それ自体は責められません。しかし問題は、そこに気づけるかどうかということです。今の社会システムの中では、その「欲」が、人類の悲劇の根本原因だと気づくまでには、三重もの扉をくぐり抜けなくてならないのです。

 

第一の扉は、自分たちが、社会が提示する「欲望のシステム」に操られていたと気づくことです。

第二の扉は、「欲」こそが、人間の幸福を遠ざけているものの正体だと気づくことです。

そして第三の扉が、自分の中に眠る「欲」を冷静に見つめ、これをほじくり出し、認め、滅する方向へと梶を切ることです。

 

このように、三段階を経る必要がある。

ところが、今の日本人は、第一の扉さえ開けるまでには至っていません。

 

狭い部屋で、大勢が集まって、扇動者が開いた講演会にみな聞き入っている。空気が、もうすっかり淀んでいるのに誰も気づかない。そのうち一人が「ねぇ、息苦しくない?」と言い出す。そこで扉を開ける。その瞬間、フレッシュ・エアーがサーッと入り込んで、「そうか、俺たちはこんな淀んだ空気の中にいたのか」と、みんなやっと気づく。

 

結局、中にいる間というものは、分からないのです。自分たちが、その「空気」に、すっかり汚染されていたということに。でも、一度扉が開いた後は速い。今の政治指導者、経済指導者、宗教指導者、有識者という人たちが、いかに幼稚な霊性しか持たずに、また持たないがゆえに、社会に君臨して来たかということが、誰の目にもハッキリと分かるようになります。

 

まさに、ジョン・レノンが言った「世界は、狂人たちに操られている」ということが、白日のもとに晒されるようになる。でもそのためには、地球全体を覆い尽くした、第一の扉が、先ず開かれる必要があるのです。そして、それが出来た時、はじめて宇宙から地球に、フレッシュ・エアーがサーッと入って来る。その日のために、我々は辛抱強く努力しなくてはなりません。

 

現実というものは、人間の意識が創り出しています。このことはもう何度も言って来ました。あなたの現実は、あなたの意識が、そして人類全体の現実は、人類の総意が創っている。

そういう中で、人類に覆い被さった第一の扉がなかなか開かない。

 

でも考えてみてください。恐怖政治が台頭して来たということは、恐怖政治をもってしなければ、第一の扉を守り続けることが、もはや難しくなって来たということを意味しているんですよ。

そこで、あなたの、今後の生き方が問われるのです。

 

「正直者は馬鹿を見る、という世の中であってはいけない」などと、よく言われます。そう言われるのは、「馬鹿を見る」ことがあまりにも多い現実があるからです。人間が「嘘つき」になってしまう理由は、我が身かわいさのいわゆる「保身」と、この「正直者は馬鹿を見る」が、セットになって心に刷り込まれているからです。

 

でもそれは本当なのでしょうか? 本当に「正直者は馬鹿を見る」のでしょうか? この『気づきの啓示板』では、「素直」で「正直」であることがなによりも大切だと、何度も強調されています。もし本当に、「正直者は馬鹿を見る」のであれば、「素直」で「正直」であり続けようとすることは、「馬鹿を見」続けることになってしまいます。が、果たしてそうなのでしょうか?

 

あれは26歳の時だったと思います。当時、私は東京の場末にある某映画館勤務の職に就いていました。支配人の下に私と50代の男性社員が一人、映写技師さんが一人、その他に売店を任されたアルバイトのおばちゃん二人という体制でした。今のようなシネコンの前の時代で、映画は完全な斜陽、経費を削減するために、私は映写技師の仕事も兼務していました。

 

ある時、映写技師の仕事をしていて、リール交換が終わった後で休憩に下へ降りて行くと、50代の男性社員が、チケットを発券せずに、割引値段にして客からお金を貰い、客をそのまま館内に入れているのを目撃しました。「あらあら」と私は思ったのですが、この人は、私がその職に就く前にも、同じことをして注意処分を受けていたとのことでした。

 

でも私は、それを支配人に言わないでいたのです。なぜかと言うと、前の時に、支配人の温情によって、その件が不問にされたという事情を知っていたからでした。ところがしばらくして、売店のおばちゃん二人が、やはり同じような現場を目撃したらしく、その件を本社に通報してしまったのです。ということで、えらい騒ぎになりました。

 

数日して、調査のために本社から役員がやって来て、私も聞き取り調査をされました。そこで私は「自分も、同じことを目撃したことがある」と正直に答えたのです。それから一週間ほどして、その件に関する裁定が下りました。どうなったと思います? なんとそのおばちゃん二人はクビ。私は辞職勧告を言い渡されたのです(クビには出来ないので)。もう最低の裁定ですよ。

 

唖然としましたが、それが組織というものなんでしょう。支配人にとっては、自分の面子を潰されたということが、相当のおかんむりだったようです。私はその職を失い、いろいろ考えた末に、東京での夢を諦め、田舎に帰ってカラオケスナックのボーイとなり、カミさんは旅館の仲居として働いて、まさに『昭和枯れすすき』を地でいくような生活をしばらく続けました。

 

その時は、「正直者は馬鹿を見る」とはこのことかと、失意のどん底にあったのです。その後も、誠実に生きようとはして来ましたが、繰り返し繰り返し「正直者は馬鹿を見る」を体験しました。極めつけは、最後の砦と思って足を踏み入れた精神世界です。しかしここも、一般社会と何ら変わりのない「欲」が渦巻く世界で、自分はそこでも正直さを誤解され、排撃されました。

 

ハッキリ言って、組織では「正直」であることは、通用しません。組織というものは、元々はある目的のために作られるのですが、いったん組織が出来上がると、いつの間にか目的が「組織の維持」にすり替わってしまい、その為なら「不正直」であることもいとわないようになるのです。必ずそうなる。なぜかというと、組織のヒエラルキーの中に「ポジション」という価値が出くるからです。

 

ですから、組織の中で「正直」であろうとすることは茨の道です。出世などは端から無理。サラリーは上がりません。ちょっと逆らえば左遷。悪くすれば濡れ衣を着せられ、逮捕・投獄されたり、場合によっては闇に葬られるということもあり得ます。でも、たとえそうだとしても、いや、だからこそ勇気を持たなくてはなりません。それが、これからの人類に示された課題です。

 

茨の道? そんなものが何だと言うのでしょうか?

あなたの本質は「魂」にある。このことを、忘れたのですか?

「魂」は永遠の存在で、カルマを背負って輪廻転生する。

このことを、忘れたのですか?

 

あなたの本質は「魂」なのですから、人生の岐路に面した時には、迷わず「魂」が成長する道を選ぶのは、当然ではありませんか。人類というのは、今までそれが出来なかったのです。目には目を、歯には歯をで、しょっちゅう報復を繰り返し、常に「魂」が喜ぶ道とは逆を選んで来たのです。もう、そのようなカルマの連鎖にストップする時がやって来ました。

 

恐怖政治を敷く者も、実は自分がいちばんの「恐怖」の塊だからなんですよ。自分の側近たちを常に疑い、歯向かう者は容赦なく片づける。そういう人物に、なおも近づいて来る者というのは、その権力が魅力なのであって、人物が魅力なんじゃない。だから、ひとたび形勢が悪いとなれば、さっさと船を降りて、一目散に逃げて行く。

 

一見、この世の春を謳歌しているように見えても、自分と同じ悪徳の波動を出す者を側近に集め、さらには多くの人の恨みを掻き集めているのですから、「魂」としてはたまったものではありません。事が大きくならないうちに、「正直」に帰っていればいいものを、嘘に嘘を重ねて生き、多くの人を陥れるカルマを作って、一体どうするのでしょう? 無智とは、本当に恐ろしいものです。

 

『虹の学校』を始めた当初、自分はまだ失意の中にありました。傷がまったく癒されていなかった。でも、こうなったら我が道を行くしかないと思ったのです。そして2年、3年が過ぎてからやっと気づいた。要は、自分の純粋さが足りなかったのです。中途半端だった。もっともっと、遥かにもっと純粋であらねばいけなかったのです。

 

「馬鹿を見る」という想いが生じたのは、まだ世間の物指しに当てて自分を見ていたということです。だから、「馬鹿を見た」という、嘆きや、怒りの想いが自分の中に沸いてきていた。物指しそのものを捨てるということが、出来ていなかった。要は、世間と同じ「欲」の物指しの中に、自分もいたということ。そこにやっと気づいた。

 

そこに気づいてから、パーッと霧が晴れて、入れ替わりに「宇宙の真理」がどんどん入って来るようになった。正確に言えば、メッセンジャーとして用いられるようになったのです。そうなって初めて、今までのことは、本当に恩寵だったんだなと、つくづく思いました。そのように、すべてが最初から計画されていたんだなと思いました。

 

「馬鹿を見る」ような思いをたくさんして来たからこそ、今そのような状態にある人にも「そうじゃないんだよ」と言ってあげられます。だとすれば、これは素晴らしい役割です。役に立つ仕事です。自分を活かせます。そして、みなさんに、「真の幸福とは何か」について気づいてもらえます。

 

私は60年掛かりました。でも今は時代が違う。みなさんが全身全霊で打ち込めば、4・5年で真理に出会えます。私が保証する。

 

世の中は、一見、ひどい混乱状態にあるように見えますが、これは何度も言っているように、人類のカルマが一斉に噴出しているからで、冷静に、そして客観的に受け止める必要があります。

 

みなさんは今、そこで、重要な選択をする岐路に立たされているのです。このまま世の中の物指しに翻弄され続けるか、それともそれを捨て、自分の道を「正直に」歩むかどうかです。そしてあなたが、後者を選んで捨てた時、あなたは、故郷であるこの地球を厚く覆ったベールを一枚剥がし、第一の扉が開くことに貢献することになるのです。

 

だから今、私は、自信を持ってあなたに言います。

正直者は決して馬鹿を見ない。

代わりに、正直者は、自分の内に神を見る、と。

わたしはわたし、あなたはあなた

嘘つきは政治家の始まり。

 

もし政治家になりたかったら、先ず、平気で嘘をつける技能を身につけることだ。例の格言を、変更せねばならないほどの事態が、今やこの国では当たり前になっている。もちろん、その前にちゃんと泥棒もしている。巨額の税金泥棒。泥棒が、副業で政治家というものをやっているのだ。

 

私が解らないのは、こういう泥棒を「支持する」という人が大勢いるということ。20年前なら、政治の不正や腐敗というのは、当然糾弾すべき対象としてあったはずなのに、今はそうではありません。不正をちょっとでも暴こうとする人が出ると、すぐにその人の人格を貶めるような情報を流す人間が反対側に現れて、メディアを使って血祭りに挙げようとする。

 

いったい何が楽しいのかナ、と思います。それで著しく人格を落としているのは、その人自身なのに‥‥。自分はなにも「正義」ということを言いたいんじゃないんです。「正義」なんて、ただの観念の一つに過ぎません。そうじゃなくて、シェア・プレイ精神(私の造語)の全くない政治が横行していて、さらにそれを「支持する」人々が大勢いるということに驚いているんです。

 

今の子どもたちに、政治家や、大人や、社会は、一体どう見えているのかなと思います。政治やマスコミだけでなく、もう警察も、検察も、裁判所もまともに機能していない。三権分立など、あって無きが如し。「嘘をついてはいけません」と教えている現場の教育者までもが、いじめ問題が表面化すると、平気で嘘をつく世の中。嘘つきの相互保険協同組合が出来上がっちゃっている。

 

もしかしたら、子どもたちは、もう「大人はすべて信用できない」と拡大解釈しちゃっているかも知れません。あるいは、「この先、偉い人になるためには、嘘つきのやり方を見習わないといけないな」と考えているかも知れません。

 

ねぇ、なんのための「嘘」つき?

 

世間では、「保身」のため、とよく言われるのですが、私にはこの感覚がどうしても解りません。「おしん」というテレビドラマがあったことなら知っているのですがねぇ。元々、守らねばならない地位に就いたことなど、ただの一度もない(エヘン!)というせいもあるのでしょうが、自分に嘘をつくことが、どうして「保身」になるというのか、この発想が私には全く解らない。

 

自分の身を保つとは、正直であり続けること、に決まっているじゃありませんか。いいですか、人間の本質は「魂」なんですよ。それなのに、その「魂」の生き方に逆らい、真の喜びに逆らい、自分を騙して嘘をつくことが、どうして「保身」なんですか? まったくの真逆じゃないですか。自分を否定し、傷つけ、葛藤の中に自らを追い込んで、苦しめて、何が「保身」ですか。

 

地位、名誉、財産なんてものは、みんなイリュージョンに過ぎないんですよ。なにも、プリンセス天功だけがイリュージョンなんじゃない。あなたの周囲にあるものすべてがイリュージョンなんです。その証拠に、地位、名誉、財産、すべてのものを一度ひっぺがしてご覧なさい。まるで、生まれたての赤ん坊のようにネ。それがあなただ。この世におけるあなたの本質なんです。オギャー。

 

さあ、その時、自分は何ものだと、あなたは言うのでしょうか?

 

そう「わたしはわたし」。それが答えです。そうしか言いようがないでしょう?

 

何々の地位にあるわたし、これこれの名誉を得たわたし、これだけの財産を持っているわたし。そこに拘泥する者たちは、だから「わたしはわたし」と言えるものを、まだ発見できていない、イリュージョンのラビリンス(迷宮)に迷い込んだままの、未熟な「魂」だということなのです。そう思って、彼らの言動を眺めてご覧なさい。彼らの心の動きが、まるで手に取るように分かるから。

 

地位、名誉、財産。何一つ、墓場の先へは運べないのですよ。唯一、運べるもの、いや運ばれるものがある。それが「わたしはわたし」ということ。

 

あなたは、どんなわたしなのか?

どんなわたしでありたいのか?

どんなわたしになろうとして来たのか?

そのため、これまでどんなチャレンジをして来たのか?

そして、そこで何を経験し想ったのか?

 

その意識の軌跡のみが、来世に運ばれる。

 

あなたは自由だ。それを認めなさい。噛み締めなさい。もう誰からの束縛も受けない。社会の言いなりにはならない。それを今この場で誓いなさい。つねに正直でありなさい。心地よいフィーリングと沸き立つ気持ちをいつも大切にしなさい。直感を信じて行動しなさい。自分を信頼しなさい。深く愛しなさい。他の人に親切でありなさい。そして人生を楽しみなさい。

 

あなたは素晴らしい能力を持った人間なんだから。

 

自由を生きて、その生きる姿で、子どもたちに手本を示すのです。生きることって、こんなにも素晴らしいことなんだよと。

 

あなたはあなたなのですから。

激動の時代をどう生きるか

軍産複合体に反旗を翻す者として、既成政治勢力の圏外から登場した筈のトランプ大統領が、なんと180度方向を転換、米国議会の承認も受けずに、もちろん国連決議もなしに、シリアにトマホーク59発を打ち込むという事件が起こりました。この後、Googleの検索で「第三次世界大戦」というワードの件数が、過去最高を記録したそうです。

 

そして、またもやこれが「正義」だというのですから、アメリカという国は、結局、変われないのでしょうか? この国際法にも違反している武力行使を、日本政府は支持(師事?)するというのですから、もうどうしようもありません。日本は、唯一の被爆国なのに、当の原爆を落とした国であるアメリカに遠慮して、核兵器禁止条約の交渉テーブルにもつこうとはしない。

 

先日インターネットを見ていましたら、北朝鮮が日本の原発にミサイルを打ち込むかも知れないのに、中国がいつ攻めてくるかも分からないのに、日本の防衛はこのままで大丈夫なのかと、半狂乱になって訴えている女性の姿を目撃しました。この女性は、今そう主張することが正しいことだと、完全に信じているのです。このような怯えが、いま世界中に広がっています。

 

何度も書いてきたように、詐欺に遭う(つまりそれを信じる)人がいなければ、詐欺師は成り立たないのです。

 

北朝鮮が攻めて来るか来ないか、アメリカが先制攻撃するのかしないのか、それは私には分かりません。そうではなくて、人類史の上で、何度も何度も繰り返されてきたこの惨劇パターンの構造に、もういい加減に気づきましょうよ、ということです。

 

繁栄を約束する一方で、恐怖を煽り、正義を主張し、暴力と殺人を正当化する権力者がいる。その権力者の言動を、丸ごと信じ込んでしまう民衆がいるから、人類の悲劇が止まないのです。

 

まさに詐欺師と被害者の関係です。

 

繁栄を信じて、貧困に叩き込まれるのは誰なのか? 民衆です。

企業間競争を信じて、奴隷にされているのは誰なのか? 労働者です。

地域の発展を信じて、環境破壊にさらされているのは誰なのか? 市民です。

正義の戦いを信じて、命を捧げるように強制されるのは誰なのか? 若者です。

 

そうやって、大衆はつねに使い捨てにされ、権力者のみが肥え太っていく。

これが人類の歴史です。

 

いったいなぜ、そんなことが繰り返されてしまうのでしょうか? そこには二つの理由があります。一つは、いま言ったように、大衆が権力者の言葉を信じてしまうということ。しかしそれは、裏を返せば、人々が自分を信じていない、自分のことを信頼していない、ということでもあるのです。実にこれこそが、地球人類をずっと奴隷化のもとに縛り付けて来た、最大の理由なのです。

 

そしてこの「自分を信じない」ようにさせるということが、教育によって、教科書によって、先生によって、親によって、マスメディアによって、広告によって、ブランドによって、資格制度によって、医療によって、宗教によって、政党によって、その他あらゆる組織によって、徹底して刷り込まれるのです。誰も意識していない、それは超巨大な洗脳システムです。

 

その結果、人々は「自分なんて取るに足らないものなんだ、しょせん無価値なんだ」と信じ込み、世間が提示するスケール(物差し)の中で、競争に勝たない限りは自分の存在意義はないと思い込み、身も心もボロボロになりながら、それでもまだ働いて、それで我が身を削っている。ああ、なんて不自由な世界に住んでいるんだろう? そうは思いませんか?

 

いま書いたことをサヨク的だと思う人がいるかも知れません。アホなおっさんが宣うタワゴトだと仰る方もたぶんおられるでしょう。でもね、あなたの視点を上に持っていってみてくださいよ。上に、上に。いやもっと上、地球全体が見渡せるくらいまで。そこで地球を、ふんわりと包み込むようにして見て欲しいのです。そうすれば、いま書いたことが、長期間にわたる単なる人類の観察結果だということが解りますから。

 

人類が今、瀬戸際にあることは、あらゆる点からみて間違いありません。みなさんは、(ゆっくり進行しているように見えて、実はあっという間の変化に過ぎない)その瞬間の、目撃者兼、参加者になろうとしています。でも、今ここに、まさに生きている以上は、ただ目撃者でいることは出来ません。ですが、参加者となる際には、いつも地球全体を暖かく眺めるという、この視点を忘れないでいて欲しいのです。

 

今の地球のこの混乱ぶり。みなさんは、政治的指導者、経済的指導者、宗教的指導者と言われて来た人々が、「なーんだ、この程度の人物だったのか」ということを日々目撃しています。別の言葉で言えば、目が覚めつつあるのです。今までは通用してきた権力者のつく嘘が、なかなか通用しづらくなっているのです。

 

そのせいで、嘘のレベルが、まるで子供だましのように稚拙化しています。彼らは、自分を守るために、他者に対して嘘をついていると考えていますが、そうじゃないんですよ。〈自分に対して〉嘘をついているのです。守っているのではなくて、自分を痛めつけているのです。それが、自分の魂にどれほどのダメージを与えるか、それを全く解っていません。実に愚かです。

 

それだけ彼らも必死なのです。政治にしろ、お金にしろ、組織にしろ、権力を握っている人というのは、ひとたび、その拠って立つ基盤を失ってしまったら、たちまちにして、自分の存在意義というものがなくなってしまいます。それは、彼らにとっては大変な恐怖です。ですから、ほとんど意識することなく、保身の策を次から次へと弄するのです。

 

権力構造にある人は、特定の集団体制でそれを維持していますので、仲間うちではお互いを庇い立てします。しかしこれを繰り返していると、嘘が嘘を呼び、そのうちに辻褄の合わないところが出てきて、嘘のレベルが幼稚化したり、仲間割れを起こしたり、一人に原因をおっ被せたりし始めるのです。権力者というのは、基本的に内と外を分ける、二元性に生きる、そういうメンタリティを持った人たちです。

 

そういう詐欺師たちに、人々が、どうしてこういとも簡単に騙されてしまうのでしょうか? それは、自分の中に潜む「感情」を、人々が刺激されるからです。権力者はこの操縦が非常に上手い。良いことも悪いことも、とにかく感情を刺戟するように訴えかける。あのヒトラーが、演説の際に、自分の手をどのように動かすかを写真を撮って検討し、何度も練習したことはご存知でしょう。

 

権力者は、感情の喜怒哀楽面、すべてに過剰な刺激をして、巧みにコントロールを入れてきます。ですから、このコントロールを見抜いて、それにやすやすと乗らないようにしなければなりません。すぐに飛びついていては、自分を見失ってしまいます。こんな時こそ、「いや、待てよ」と、視点をギューンと宇宙にまで上げて、ポッカリ浮かんだ地球を、暖かな目で見るようにして欲しいのです。

 

不安や恐怖を煽り立てて、人々をコントロールしようとするのは、彼らの常套手段です。ですが、実はそこには、彼らさえも意識していない、次のようなメカニズムが働いているのです。なぜ人々が、不安や恐怖を掻き立てるような情報に、過剰に反応してしまうのか? それは、自分の過去世や細胞内のDNAが体験して来た、魂レベルに存在する恐怖の記憶が、それによって誘発されるからなのです。

 

何十回、何百回と体験してきた過去世の中で、戦争で悲惨な体験をしたり、病死したり、餓死したり、殺されたり、反対に殺したりという体験がある。これらが誘発されて甦り、意識づけされて、自分の中に「こうなっては大変だ」という不安感や恐怖心をもたらすのです。ということは、あなたにコントロールを入れて来ているものの本当の正体は、実はあなた自身だということなのです。

 

このことを、しっかり学び取っていただきたいのです。自分の中に湧き上がる不安や恐怖。それは「誰か」のせいなどではないのです。結局「自分自身」なのです。驚かれましたか? しかしこれは朗報なんですよ。なぜなら、「誰か」をどうにかすることは出来ませんが、「自分自身」が真犯人であるならば、そうしたコントロール下にある自分を、自分の手で解放することが出来るからです。

 

ああ、なんて素晴らしいことでしょう。

そして、このメカニズムに気づき、自分で自分を縛っているものを解き放つことが、「カルマを解く」ということなのです。

 

ここで、「カルマと浄化」の関係について話をしましょう。いま人類は、大規模な「浄化」の時期を経験しています。そう言われて、「浄化」なのに地球のこの混乱ぶりは一体どういうことなのか、と首をかしげる方もおられることでしょう。けれども「浄化」というのは、言葉から受けるイメージとは違い、汚れを落としてスッキリサッパリ、というような感じのものではないのです。

 

カルマの「浄化」とは、それを「受ける」ことを言うのです。自分が出したカルマを、きっちり自分が受けること。それ以外に「浄化」はありません。ですから、誰かに(例えば霊能者に)カルマを取ってもらうといったことは出来ません。自分が撒いた種は自分が刈り取るのです。自分が出した波動は、自分に戻ってくるということです。これは宇宙の基本法則であり、どんな人であろうと「カルマの法則」から逃れることは出来ません。

 

さて一口に「カルマ」と言っても、個人のカルマだけでなく、家族のカルマ、家のカルマ、集団のカルマ、民族のカルマ、土地のカルマ、国のカルマ、人類のカルマ、地球のカルマと、様々な種類があります。これは、いつも言っているように、それらの正体が「想念エネルギー」だからです。まるで粘土細工のように、同質のものをくっつけることで形成されているのです。

 

ですから、今の地球の混乱ぶりというのは、人類のカルマ、地球のカルマに、正しく「浄化」が起きているということなのです。つまり、これまでに人類が出したカルマ、地球に与えたカルマに対する報いが、いま訪れているということ。その「浄化」の証拠を、今みなさんは目撃しているのです。

 

盥に(と言っても分からないか)、じゃあ洗面器に(と、これも分からない?)、じゃあね、幼児用のプールに水を張った状態を思い浮かべてください。あなたがその片端に指を突っ込んで、ピチャピチャと指を動かします。すると、波紋が周囲に広がって行きます。そして縁にぶつかった波が反射して、あなたのところに戻って来る。これが「カルマの浄化」です。

 

あなたの思いや行動が創り出すバイブレーションが、宇宙に広がって行き、影響を与え、そして元のところに戻って来る。この、出したものが戻ることによって、宇宙に平衡が保たれているのです。これは、振り子が逆振れする現象としても例えられます。宇宙の総体は変化ですが、そうやって、変化しつつ常に調和ポイントを見出しているのです。ですから、この「カルマの法則」というものは、絶対的なものです。

 

そして、「浄化」をちゃんと果たすためには、正しく「受ける」ことが必要なのです。きちんと「受ける」ことによってのみ、初めてその人に、反省や得心が起き、その「魂」が霊的に成長していけるわけです。

 

ところが、「受ける」ことを拒み、責任逃れをしたり、誰かに罪を被せたりしていますと、霊的な成長が見込めないばかりでなく、カルマを積み増しすることになり、いつかはそのツケをまとめて返済しなければならなくなるのです。

 

いま地球上に現れている「浄化」は、まさにそれです。これまでの人類のツケ、地球にしてきたことのツケの大返済が迫られているのです。しかし、そう言われて、どうにも納得できないという方もおられるでしょう。俺はそんな悪さをした覚えはないよと。

 

けれども、カルマの戻りは、一代のうちに完結するとは限らないのです。何代もの過去世に渡って拵えてきたカルマが、この時期に一気に戻って来ている。そのため、理不尽とも思える出来事が、あなたの身の上にも起きるかも知れませんが、過去世までほじくってみれば、必ず辻褄は合っているのです。

 

人類はこのことを理解して、よくよく反省しなければなりません。さて、あなたから見て、今の世界は、世界の指導者は、反省に目を向けているでしょうか?

 

絶望しないでください。この先、たとえどんなことがあっても、あなたという「魂」が、宇宙という大大大セーフティネットの上にあることは確かです。高次の存在から、愛され、守られていることは確かです。これも「カルマの法則」と同じく、絶対的なものです。100パーセント確実です。ですからあなたは大丈夫。問題は、そういう心境になれるかどうかです。

 

そこで、「自分を信じる、自分を信頼する」という強い意志が求められるのです。生活の中で、静かに内観する機会と習慣を持ってください。外から来る情報にいちいち反応していては、自分を信頼することなど不可能です。あなたはあなたであり、あなた自身であることが、自分をもっとも生き生きと輝かせ、楽しく、朗らかに、幸せに暮らせることを保証してくれるのです。

 

それ以外はありません。ネガティブな情報は受け流して、無視して、自分の生き方に専念してください。

 

ネガティブな情報は、あなたの感情を揺さぶり「お〜い、こっちの世界へ入って来いよ」と誘ってきます。そこに同調したとたん、それらのものに、自分のエネルギーを与えることになるのです。判断や反発することも同様です。そうやって、多くの人が翻弄され、エネルギーを与えてしまうから、それらの想念が生き続けることになるのです。ですから、受け流して、無視すること。

 

「カルマの法則」というのは、何も悪い事ばかりを言うのではないのです。あなたが愛を送れば、ちゃんと愛が跳ね返って来ます。ですから、周囲がどうであろうと、世間がどうであろうと、あなたは、正直に、誠実に、愛の心で、元気よく行動し、生きることが大切です。そして、そういうあなたのような人が、一人二人と増えていけば、人類のカルマ、地球のカルマまでもが変わっていくのです。

歴史の大きな転換点=第45代アメリカ合衆国大統領の誕生

暗殺の危険が心配されていたドナルド・トランプ氏の大統領就任式が無事に終わり、第45代アメリカ合衆国大統領が1月20日、正式に誕生しました。就任式の会場には、最後の最後まで形勢逆転を試みていたオバマ氏とヒラリー氏の姿も見られ、一応、微笑みを浮かべてはいましたが、内心はどのようなものだったのでしょうか。「もう終わった」と、観念したのでしょうか。

 

就任式の演説を聞きながら、私はなぜかキューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロのことを思い浮かべました。トランプ氏の就任式が無事に済んだ裏には、軍が味方についたことがあると思います。政権の成立に絡むのは最後の最後は軍ですからね。そういう意味では、第45代アメリカ合衆国大統領の誕生は、無血による軍事革命だったと言えるのかも知れません。

 

トランプ新大統領は、これまでの「ワシントンDCに巣喰う一部特権階級による、長年の民衆搾取の歴史」をこれで終わらせると、明確に宣言しました。そのすぐ後ろには、オバマ氏とヒラリー氏も居るんですから、まるで当てつけのようなものです。それを彼らの目の前で、堂々と言った。

 

その上で、国家は民衆のためにあるべきであり、みなさんの国を取り戻してアメリカを再び偉大な国にするんだ、と話しました。これは一見、当たり前のことを言っているだけのように聞こえますが、その率直さには大きな意味があります。なぜなら、アメリカには本当の「民主主義」が無かったからです。

 

「民主主義」の広報マンを自認し、他国の政治の成熟度を、まるで教師のようにして判定し、かつ「世界の警察官」を標榜しては至る所に軍事介入をしてきたアメリカ。そのアメリカが唱えて来た「民主主義」とは、実際には一部特権階級(Establishment)による世界支配のための道具に過ぎませんでした。それを「終わらせる」と、トランプ新大統領が明確に述べたのです。

 

この言葉が、こうして刻まれた以上は、もう元には戻らない。この先も政治権力を巡る攻防はあったとしても、大衆を支配し続けてきた「洗脳」状態、「集団催眠」状態に大きな楔(くさび)が、これで打ち込まれたのです。もう以前のような大衆洗脳プログラムは機能しなくなるでしょう。

 

その最後の足掻きが、選挙後のトランプ追い落としのキャンペーンによく表れています。一度嘘をつくと、嘘を誤魔化すために、人はさらに嘘をつかなければならなくなる。やればやるほどほころびが大きくなって行く。良識ある人は、もう誰もそんなものは信じません。

 

マスコミを見なくなってから久しいので、表のニュースで何をどう言っているかは知りませんが、世界一の情報発信力を持つアメリカがここで変われば、いかに大衆洗脳が強固な日本といえども、徐々に本当のことを知るようになって行くだろうと思うのです。そして、自分たちがいかに騙され、搾取されていたのか、その権力構造の裏側の闇についても、多くの人が知るようになって行くでしょう。

 

余談ですが、1月20日にアップされた、シリアのアサド大統領へのJNNの単独インタビューという動画を観ました。アサド大統領の肉声がこれほどハッキリと記録された映像を見たのは私も初めてです。この中で、アサド大統領は、中東情勢の現状を解説した上で、西側の報道がいかに作為的なデマゴギーに満ちていたかを、冷静に、かつ論理的に語っています。

 

驚くのは、今回のインタビューの前に、アサド大統領への取材を試みたジャーナリストも政府関係者も、日本には一人もいなかったという点です。我々はただ、西側が捏造した「アサドが悪い」「ロシアが悪い」という垂れ流し情報を見せられ、そしてシリアの破壊工作に加担していたのです。

 

それがこのように、インターネットに載ったということは、やはりトランプ効果による地殻変動が起きているのだろうと思います。下記に、リンクを貼っておきましたので、ご興味のある方はご覧になってください。

https://www.youtube.com/watch?v=BnR-8NrMu54

 

何度も言いますが、今は強い「光」が当たっているので、隠れていた「闇」が、次々と明るみに出ているのです。この流れは、いかに阻止しようとしても、絶対に止まりません。なぜかというと、「光」の源は、人知の及ばない宇宙からやって来ているからです。地球は、今そういう超長期的サイクルの中に入っているのです。

 

文科省の違法な天下り斡旋? あんなものは省庁の役人はみんなやっています。なにしろ、そういうメンタリティを育てる「仕組み」なんですから。以前から「文科省など要らない」と自分は主張しています。腐ったトップが、腐った人間を組織し、腐った指導者を養成して、子供たちを腐った社会に適合できる奴隷人間に「脅育、矯育、恐育」して行く仕組み。全くひどい!

 

そういう仕組みに過適応したエスタブリッシュメントたちが、今まで好き放題に運営してきた社会を、本当の「民主主義」の実現によって、民衆の手に、これから取り戻していかなければならないのです。アメリカ合衆国のドナルド・トランプ新大統領の誕生は、その転換点となる可能性を秘めています。

 

「民主主義」というのは、本来、主権が民衆にあるということを述べた政治思想であり、選挙制度とは何の関係もありません。代議員制度は、それを実現させるための一つの手段として考えられただけです。ところが、選挙=民主主義だと思わされ、当選したその「お墨付き」をバックに、実際には「民主主義」にはほど遠い、隠然たる大衆支配が、「民主主義」の名の許にずっと行われて来たのです。

 

トランプ新大統領は、TPP、場合によってはNAFTAからも離脱し、いわゆる「保護主義」に転換すると言っています。またメディアでは、今ごろになって「新自由主義」や「グローバル経済」の失敗を言う人も多くなっています。こんなことはやる前から分かっていたことです。自分がマーケティングの仕事を辞めたのも、猫も杓子も「グローバル経済」を叫ぶ中で、そういう風潮に着いて行けなかったからです。

 

みなさんは今、歴史の大きな転換点を見ています。20年前に「新自由主義」や「グローバル経済」を煽った人たちが、誰であったかを思い出してください。「テロとの戦い」に同調し、自衛隊員の派兵を決めた人たちが誰であったかを、思い出してください。経済成長と逼迫するエネルギー需要を満たすためには原発が必須で、原発は安全だというプロパガンダをした人たちが誰であったかを、思い出してください。

 

結局は、そのように舵取りをする人、したい人がいる。政治家、官僚、グローバル企業の幹部、学者、有識者、ニュース解説者、etc.。そして、マスメディアを使って、自分たちが創り上げたシナリオを、「これしかない」と大衆に信じ込ませて行く。いったい何のために、また誰のために。「民主主義」というのは、結局のところ、制度の問題ではなくて、リーダーとなる人のハートの問題だということです。

 

自分が今していることが、悪いことだと自覚して「悪」を為す人は、実は少ないのです。上に挙げた例も、やっている人たちは、それが「よいこと」だと思っているのです。ですから、戦争指導者だって大義名分を掲げて、そうすることが「よいこと」だと言って兵隊を募り、その人たちを人殺しマシーンに変貌させて行く。

 

そして、一つの戦争が終結すると、民衆は「もう戦争はコリゴリだ」「戦争は、加害者も被害者も苦しめる」「どんなことがあっても戦争はしてはならない」と、その時は深く学んだはずなのに、しばらくするとまた対立を煽り、大義名分を掲げて「正義の戦争をすべきだ」と言い出す輩が必ず現れ、民衆を導いて行くのです。人類の歴史は、結局この繰り返しです。

 

今そのような扇動をしている者たちの顔を、メディアを、よ〜く覚えておいてください。彼らは、宇宙の実相を知りません。真理の法則を知りません。自分自身が「闇」の心に深く洗脳された、本当は可哀想な、未熟な魂の、無智なる人々なのです。

 

一人ひとりの人間は、決して、みんなそんな大逆を犯すような人間ではありません。むしろ友愛の心をみんな持っているのです。ちょっとした間違い、釦の掛け違え、出来心に過ぎなかったものを、集めた時に、それが大きなパワーとなって、信じられないような事件が起きるのです。だから、釈迦は「苦・集・滅・道」と言ったのです。

 

人類の、長きにわたる、この過ちの歴史を終わらせるためには、「苦」のもとを「集め」てはならない。というポイントに、これから一人ひとりが気づくことです。大衆を扇動しようとする者には、必ず、嘘やゴマカシや、騙してやろうというエゴが隠されています。それらを見抜いてください。

 

アラ探しをしてやろうと目を凝らして見つめるのではなく、「なんとなく」いい感じとか悪いとか感じるフィーリングを大切にしてください。そうすれば見抜けます。人は、見かけに寄ります。表情や態度に全部出ています。決して誤魔化せません。「人は見かけに寄らない」という諺は、「見かけ」の裏側が見えないその人の目が悪いのです。自分のエゴで他人を見ているから、そのフィルターを通してしか見えないのです。

 

そして、何事も、自分自身で考えて判断するように。指導者の言いなりになるのではなく、自分を信頼して、自分の「直感」に従って行動するように。そうすれば、間違いは起きないし、もしすべての人間がそのようにすれば、むしろ地球は、友愛の中に一つになれるのです。なぜなら、「直感」を与えてくれる源は、同じ「一つ」なのですから。

 

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●インスピレーションを得る方法

先ず手を洗い、グラス一杯の水を押し頂いてから飲み、静かな場所に腰を降ろしてください。そして軽く眼を閉じ、ゆったり呼吸を整えて、内面に意識を集中させます。この時の「集中」は、一点を凝視するというのではなく、むしろ広げる感じです。自分の周囲に意識をふわーっと広げます。宇宙と一体となることをイメージして。心が安定して来たら、その状態で聞きたいことを尋ねてみてください。このエクササイズを続けていけば、「直感」もしだいに磨かれて行きます。

地球人は今、二段階の覚醒を必要としている

アメリカ大統領選挙でまさかのトランプ氏が勝利し、長らく世界を支配して来た軍産複合体、国際金融資本、多国籍企業、政治支配層、マスコミ等が、最後のあがきとも言うべき右往左往を展開し始めています。

 

1月20日の就任式を無事終えるまでは、トランプ氏はまだ正式には大統領ではありません。その残された時間を使って、既成勢力はなんとかこれをひっくり返そうと躍起になっています。先ずは投票に不正があったと言って、いくつかの州で再開票を行ったものの、結果は変わらず。12月19日の選挙人投票で選挙人を翻意させる試みも行われましたが、これも失敗に終わりました。

 

そして遂には、トランプを勝たせようとして、民主党幹部のメールの暴露や偽ニュースを流す工作を裏でロシアが行っていたという言いがかりを付け、オバマ大統領はロシアの外交官ら35人を国外退去処分にするという制裁を発動しました。いやはや。退任時期が真近に迫っている大統領の最後の仕事がこれかと、私は唖然としました。

 

オバマ大統領という人は、いったい何だったのだろうと思います。“CHANGE” を高らかに掲げて当選した彼が就任中にしたことは、結局はブッシュ時代の延長でしかありませんでした。核廃絶を訴えてノーベル平和賞を貰っていながら、裏では逆に核の近代化を推し進める始末。就任中に一度として和平を実現させたことがなく、もっとも長く戦争をやり続けた大統領となったのです。

 

バラク・オバマという人は、結局のところ、「今までの支配構造の終わり」を認識させる役目を背負った人だったのかも知れません。共和党であろうが民主党であろうが、どっちに政権が移っても結局は一緒。大統領職など、所詮は操り人形の役者に過ぎないと、自ら示すことによって。その意味では、皮肉なことに、確かに歴史を “CHANGE” させたのかも知れません。

 

ここまでくれば、この変化の流れはもう止まりません。多くの人が気づいてしまったから。数千年もの長きに渡って人類を縛り付けていた、巧妙かつ壮大な「人類の支配構造」というものに。

 

今度の大統領選挙後、アメリカではマスコミへの信用度が一段と低下したそうです。候補者の支持率に関する「世論調査」も、あれは調査ではなくて「世論操作」だったと言われている。それほど、マスコミというものが見限られてきているのです。そのような状況の中で、オバマ大統領が繰り出すイタチの最後っ屁など、いったい誰が信用するというのでしょうか?

 

自滅への道とはこんなものです。浮気がバレたのでも何でも、結局はみんな一緒。嘘をつくから、その嘘をごまかすために、さらに嘘を重ねなくてはならなくなる。そのようにして、嘘に嘘を重ねていると、遂には、自分が何であるかさえ判らなくなって来る。本来あるべき「魂」との乖離が、どんどん大きくなって、結局は自分自身が苦しむことになるのです。ああ、憐れ。

 

支配によって世界を統一することなど、絶対に出来ません。なぜなら、宇宙の理に完全に反しているから。星々を見てください。自然を見てください。宇宙というのは、個性あるものの調和です。正反するもののバランスです。すべてそのように出来ている。

 

1パーセントの者が99パーセントを支配し続けることなど、絶対に出来ないのです。そのような試みは、いつか必ず破綻する。片方に触れ過ぎた振り子の調整のために、大きな反動を伴って。人類は今、やっとそのことに気づきつつあるということです。

 

なぜ、優劣、競争、勝利という価値観が、社会でこれほどまで持て囃され、広く定着しているのか? それは一つのスケール(物差し)であって、その尺度があるからこそ、社会的エリートが、99パーセントを占める大衆の上に君臨できるのです。この、社会全体で創り上げた、壮大な詐欺的仕組み。

 

この詐欺的仕組みを維持し続けるために、人は幼少の頃から「教育」という名の下に「競争」を強いられ、成人になってからは、マスコミを通じて絶えず「勝者になること」の素晴らしさを喧伝させられる。実際には、成功を夢見た大多数が搾取される一方の人生を送ることになると言うのに‥‥。そのような思想を吹き込んで、頭の中をがんじがらめにしてしまう。

 

そうじゃないんじゃないか? 宇宙というものは、個性あるものの調和で成り立っているのではないのか。競争や勝利することなど、どうでもいいことではないのか。宇宙の下では、どんな生命にも優劣などはなく、みな等しく尊いもののはずである。だから不足などどこにもなく、何かの所有をめぐって争う必要もない。あるがままで、我々はすでに充分満たされている。

 

そう「直感」している者は、社会がよってたかって、KYだ、落ちこぼれだ、負け組だ、引きこもりだ、精神障害者だ、等々のレッテルを貼って糾弾してしまう。なぜだと思いますか? それが危険思想だからです。不実に生き、他者を支配しようと目論むエリートたちにとっては、真実に生き、真理を実践しようとする人たちは、その「支配構造」を根底から崩してしまう最も危険な人物だからです。

 

ですから、どの時代にあっても、これまで「真理」を語る者はみな異端者として徹底的に排除されて来たのです。過去世において私も処刑の憂き目にあっている。この長い歴史が終わるのです。英国の離脱を嚆矢にしてEUが壊れ始め、軍産複合体やウォール街が支持し続けたヒラリーが、アメリカ大統領選挙に負けた。これは、人類にとって大きな大きな転換点の始まりです。

 

夢を見ている間は、それが夢だとはよもや気づきませんが、目覚めた時には「ああ、夢だったのか」と、ものの3分もすれば日常感覚を取り戻し、10分もすればどんな夢を見たかさえも忘れてしまう。それと同じで、数千年に渡って続いて来た壮大な大衆洗脳ドラマも、目覚めてしまえば、なんだこんなことだったのかとなってしまう。

 

今はまだピンと来ないかもしれませんが、必ずそういう時は来ます。進行が遅いように感じて気づかないかも知れませんが、数千年のスパンで見たら、2〜3年など一瞬による目覚めと同じです。そのようにして、人類は先ず第一段階の目覚めを得る。この目覚めは、1パーセントの人が99パーセントの人を支配する、人が人を支配する構造に対する目覚めです。

 

でもこれだけでは充分ではありません。その支配構造が解ったからと言って、1パーセントを追い出して、それでどうなるというのか? これまでの仕組みを超える新たな統治の構造を、果たして人類は創れるのか? 第一の目覚めが、次の1パーセントを創ることになってしまっては元も子もありません。ここで、第二の目覚めが必要になって来るのです。

 

それは「魂」の目覚めです。「魂」が目覚めてこそ、生命の仕組みに気づき、他者との関係に気づき、自然というものの有り難さに気づけるのです。そのような段階に達した者でない限り、人類を、愛と平和の世界に導くことは出来ません。頭が良くて狡猾だけれども霊性は極めて低いという者たちが、大衆をコントロールする時代はもう終りです。

 

放っておいても、1パーセントは自滅します。そんな追い出し劇にいつまでも関わっているヒマはありません。いつも言っているように、悪を叩くことは、悪の上塗りにしかならないのです。あなたは、第二の目覚めに向かう必要があるのです。「魂」の真の目覚め。自分自身の「Revolution」をです。それによって、あなたは、「自由」の本当の意味を知ることになるでしょう。

近代が創り出した幸福幻想

「幸福」とは、自分が今この瞬間を「幸福」だと感じること。これは実に盲点であり、そして大いなる「真理」です。しかしこの言葉を聞いても、理解にたぶん差が出て来ることでしょう。「なるほどそうだったのか!」と、心にパッと灯りが点る人。「何を言っているんだか、サッパリわけが分からない」と言う人。「バカバカしくてお話にならない」と思う人。

 

これはそのまま、「幸福」というものに対する気づきの段階を表しています。チルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を探して旅に出る。でもどこへ行っても見つからない。落胆して帰って来た二人は、結局それは、自分たちに最も身近な、鳥籠の中にあったということに気づきます。メーテルリンクのこの童話劇は、まさしく「幸福」とはなにかという「真理」を表わしています。

 

子どもの頃これを読んだ時、ひどくガッカリしました。狐につままれたような、何か闇夜に放り出されたような、そんな感じがしたのです。結局、幸福なんてものはどこにもないんだ。ムダ骨に終わった二人の旅を、不条理と受け取ったわけです。でも「真理」がここに示されていると理解するまでに、それから50年も掛かった。そういう意味では、『青い鳥』は童話劇というよりも、大人になってから解る劇だと思います。

 

近代というものを、俯瞰して見れば、まさしくチルチルとミチルの旅だったように思うのです。人間が、貧しさや、不安や、病気や、辛い労働から開放されて「幸福」になるにはどうしたらいいのか? そう考え、産業革命も科学技術の発達も起こったと思うのです。ところが未だに、なに一つ、根本的な解決が得られていません。

 

確かに、暮らしが快適になり、生産性が飛躍的に上がり、物に不自由しなくなったり、異国が身近になったり、様々な情報が瞬時に得られたりという恩恵も人類はたくさん手にしました。でも、昔とは質の違う、貧困や、精神不安や、難病や、ブラックな労働が新たに出現し、加えて環境破壊や、戦争や、テロや、原子力災害の危険も、人類は創り出して来ました。

 

これは、チルチルとミチルの旅、そのものではないでしょうか? 最初は「幸福を求めて」出発した筈なのに、いつの間にか、新しい産業を興したり、産業を発展させたり、誰よりも早く新しい科学技術を発見したり、誰よりも多く物を売ったりすることが、生きる目的にすり替わってしまう。そして遂には、誰も「幸福とは何か?」を考えなくなってゆくのです。

 

その最たるものが、「経済発展」という言葉です。「経済発展」すれば、人間は本当に「幸福」になれるのか。そういう根本的な問いを、もはや誰も投げ掛けず、「そうすれば幸福になれるよ」という、世間一般で言われている常識、為政者や企業家が常に繰り出すメッセージを信じ込んで、それに向かって、人類全体が突き進んでいる。近代という、この超巨大な「洗脳」システム。

 

そんな溜め池の中に、小石をポチャリと投げ入れ、「幸福を得るって、実に簡単なことなんだ。自分が、今この瞬間を幸福だと感じれば、それが幸福ってものなんだよ」と言ってみたところで、どれだけの人に、その波紋が届くのかと正直思う。それでも私は、明るい未来しかイメージしてはいない。

 

●参考

「幸福」の条件

内なる「革命」― 真の幸福への目覚め

市役所から電話が掛かって来ました。春先に、緑色の封筒の高齢者向け健康診断の案内を送ったのですがもう受診されましたか、というものでした。「いや、行ってません」と答えると、「来年の1月までですので、お早めに受診なさってください」と言うので、よせばいいのに「受診するつもりはありません」と答えてしまいました。こういう時に、嘘が言えない性格というのは、困ったもんですねぇ。

 

実はその封筒は、来た時、即座にゴミ箱に放り込んでしまったのです。私がそう答えると、担当者の女性は「えっ」と言葉を詰まらせて「どうしてですか?」と聞き返して来ました。そこでまた私が、よせばいいのに「現代の医療制度というものを、信用していないからです」と言ってしまいました。そしてさらに、どう信用していないかまで話す羽目になったのです。あ〜あ。

 

んもう、聞かないで欲しいんですよねぇ。放っておいて欲しいんです。そんなサービス要らないですから。その女性は「そういうご意見があったということは、上に報告しておきます」と言ったけど、きっと「困ったちゃん」のブラックリストに載るんだろうなぁ。「この人、偏屈ジジイだから要注意!」なーんて赤丸付けられて、職場で回覧されちゃうんだろうなぁ。

 

私は出来るかぎり、シンプルにナチュラルに生きたいだけなんです。でも現代社会というのは、それを決して許さない。国民に番号まで付けて、行動を逐一監視し、どこまででも追いかけ回す。彼らはそれが仕事だし、自分のサラリーを得るためには仕事をどんどん創り出す。そして、そうすることが「よいこと」だと信じ込んでいる。

 

でも、そんなシステムに嵌め込まれてしまったら、自分も「高齢者」というものに一括りにされて、だから「支援」が必要ということにされて、そのうち「介護」が必要ということにされてしまうよ。後は、託老所に放り込んで、ピーチクパーチクお喋りをしたり、折り紙をしたり、ボケ防止体操をしたりして貰いましょう、ということになってしまうじゃないか。ゴメンだね。あたしゃイヤだね。

 

そして、こういう制度を考え出す人は、必ず枕詞に「いきいきライフ」なんて言葉をくっつけるんだよね。なにさ、このセンスのなさ! どこが「いきいき」だよ。これじゃ「いきいき」じゃなくて「へなへな」じゃないか。「いきいき」というのは、その人の個性を生きるということなんだよ。自由を謳歌するということなんだよ。才能を輝かせるということなんだよ。

 

それらを全部殺して、飼い殺しにしてしまって、なにが「いきいき」だよ。みんな「生きるしかばね」みたくなってるじゃないか。どうして、それぞれの個性や知恵を活かそうとしないんだろう。どうして「高齢者」なんて垣根を取っぱらおうとしないんだろう。わざわざ垣根を作っては、不必要な「観念」をどんどん植えつけていく。この恐ろしい「支援」と称するおせっかい。

 

そもそも、「自立支援法」って、言葉が矛盾してないかい? 支援したら自立にならないじゃないか。こういう矛盾を大真面目でやっているんだから、どっちが困ったちゃんなんだろうねぇ。あのねぇ、鹿は自立させるとき、群れの反対側に追い出すんだよ。ラッコなんてピーピー泣いてても海にそのまんま置き去りだよォ! それが自立ってもんじゃないか。

 

こうした間違った思想が、どんな年代にも、どんな階層の人々にも、今や「常識」のようにして広がっている。でも考えてごらんよ。50年前にそんなものはあったのかって。そういうものを次から次へと創り出して来て、それで人々は幸福になったのかって。

 

すべて逆じゃないか。ちっとも幸福になってないじゃないか。「支援」しなくちゃいけない人を、あらゆる業界で、際限なく増やしているだけじゃないか。いったい何のためにそんなことをして来たんだい? 幸福になりたかったんじゃないのかい?

 

ところが、「支援」を常識にし、「制度」を際限なく創り出す人々は、いつのまにか本来の目的を忘れてしまって、「支援」することや「制度」を適用することが、第一義の目的になって行ってしまう。だから、オイラのように「検診は受けません」なーんて言う人間が出現すると、ビックリ仰天してしまうんだ。

 

でもね。いつも言っているように、「幸福」というのは、その人の「感じ方」なんだよ。「感じたもの」なんだよ。「ああ、自分は幸福だなぁ」としみじみ思っていれば、その人は「幸福」なんだよね。何かを手に入れたら「幸福」、何かが与えられたら「幸福」というものじゃないんだ。そこを錯覚しちゃいけないよ。

 

施設の中で、たとえ大勢の人に囲まれていたって、本人が孤独だと思えば孤独。テーブルにご馳走が並んでいても、食欲が沸かなければ、それはご馳走じゃないんだよ。反対に、一人ぼっちでも、それが楽しいって人は、孤独感なんて全然感じない。たとえ食事が質素でも、口福感をしみじみ感じながら頂くということだって出来るんだよ。

 

そういう本質を忘れて、今の社会制度というものは、勝手な標準モデルを描き出して、「あなたは充分じゃない」「あなたは病気になる可能性がある」「齢とともにだんだん体が動かなくなる」「あなたは孤独だ」「あなたは支援を受けなければならない」という、悪観念ばかりを吹き込んでいるんだ。

 

それが、「ああ、自分には何もないけど、幸せだなぁ」と、しみじみ思えるチャンスをどれだけ阻害していることか。社会が繰り出すこんなメッセージに付き合っていたら、本当に「不幸」という観念でがんじがらめにされてしまうよ。

 

私は、山の家で、一週間誰とも会わないということがしょっちゅうあるけど、ひとりぼっちでも孤独じゃないね。夕食にサバ缶しかなくても、かえって気持ちはさばさば、ハッピーだ。

Ca va ?(やあ、元気?) Ca va bien. (うん、元気だよ)

 

だから、新たな「革命」が必要だね。自分自身の内なる「革命」。奴らの言いなりには決してならないぞ。私は、私の、自由を生きるぞ!ってね。

社会システムという奴隷制度

自分を信じずに、社会システムの方を強く信じて生きていたら、一体どういうことになるでしょうか? 社会システムというものは、つねに、正常/異常、正当/不当、正義/不義、大小、高低、優劣、合否、段階、スピード、許容範囲といったスケール(尺度)を用意します。すると、そのスケールの中で競い、合致することを、知らず知らずのうちに強いられた生き方になってしまうのです。

 

現代人は、およそありとあらゆる方向を社会システムによって取り囲まれています。オギャーと生まれた瞬間から、出生届を出すことに始まって、すぐに社会システムに組み込まれて行く。それがもう当たり前ですから、もはや誰も疑問に思わない。そういう中で、社会システムが用意したスケールによって、たえず自分が評価されるという「牢獄」生活が始まるのです。

 

するとどうなるでしょう? スケールに合致したり上位に位置した者は喜びを手にしますが、そうでない者はランク外、つまり「落ちこぼれ」の烙印を押されることになってしまいます。そして、人間の優劣評価に異常な執念を燃やす人たちは、ついに障害とか要介護といったことにも認定基準や等級を設ける始末なのです。いったい全体、そんなことを、誰が何の権利によって決められるというのでしょうか?

 

たとえば「介護認定制度」というものが始まる前までは、誰もそんなスケールなど、自分の内に持ってはいなかったのです。ところが一度そういう基準が社会システムとして作られると、それが瞬く間に浸透し、人々はそれを当たり前として考えるようになる。日常会話で「うちのおじいちゃんは◯級だ」といったことが、何の疑問もなく語られるようになって行くのです。

 

これは恐ろしいことです。あっと言う間に価値観が塗り替えられ、新しい基準が刷り込まれ、人間は本来「自由」、人には優劣などなくあるのは「個性」だけ、という「宇宙の真理」が葬り去られてしまうのですから。それに代えて、人々は、他人が下した評価が「自分のアイデンティティ」であるかのように錯覚して行く。要介護2級の人は、要介護2級という「わたし」を生きるようになるのです。

 

いったいなぜ、こんな馬鹿げた仕組みに、人間は自らを追い込んで行くのでしょうか? それは、そういうスケールを設けることによって、得をする人たちがいるからなのです。スケールの上層部にいたり、スケールを統括するシステムを運営する一部の人々です。この人たちは、それがあることによって、社会的なエスタブリッシュメント(特権階級)の位置を占めることが出来るのです。

 

さらには、憧れや崇拝の感情を植え付けることによって、このヒエラルキー(ピラッミッド構造)を盤石なものに仕立て上げる。容姿端麗、頭脳優秀、語学堪能、スポーツ万能、有名大学出身、お金持ち、大豪邸、高級車、モテモテ、お肌スベスベ、etc. こういう憧れ基準を示すことで大衆を惹き付ける一方、同時にそうなれない(と思い込まされる)人々を大量に生み出しているのです。

 

これがエリートの戦略なのです。なぜ働いても働いても豊かになれないのか? なぜ貧富の差が拡大するのか? その背景には、人々を集団催眠に掛けている社会システムというものがある。しかし、ここまで深く洗脳された人類が、真に解放されるためには、社会システムの詐欺を暴くだけでは不充分で、直接、霊性に帰る、霊性を取り戻すしかありません。

 

断っておきますが、私は詐欺を為している人を糾弾したいわけではありません。これまでにも何度も言っている通り、詐欺に合う人(それを信じる人)がいなければ、詐欺師というものは成り立たないのです。両者は協力し合って、共にそれを創り上げている。このことに気づかなければ、相対性の世界から人類がジャンプすることは出来ません。

 

そのためにも、先ずあなたが「自分を信じる」というところに帰って欲しい。あなたの本質は「魂」で、「魂」は自分の生き方を知っていますから。何が幸福かを知っていますから。

 

明日は、どうすれば「自分を信じる」ことが出来るようになるかについて、続きを書きます。

 

●関連

「自分を信じる」ということを、信じるということ

「自分を信じる」ための具体的方法