「Covid-19」にまつわる陰謀や、「ウクライナ戦争」の背後に隠されていた理由が、やっと表沙汰になって来ました。もう情報統制が効かなくなっているのでしょう。「新タイプmRNAの爛譽廛螢灰鵐錺チン瓩鮠鞠」だなんて、まだやっている国はもう日本だけじゃないのかナ? このところ朝からピーポピーポがずーっと鳴り響いていて、その度に「ああ、また一人‥‥」と思うと、可哀想で仕方ありません。でも、こうなることは、最初からみんな判っていたことなんですよね。
ロバート・ケネディー・ジュニアさんが『武漢隠蔽工作(The Wuhan Cover-Up)』という新刊を上梓されました。
日本語訳はまだ出されてはいませんが、その中には、今回の「生物兵器」事件のルーツが、日本の731部隊にあったということが、歴史を掘り下げる形で述べられているそうです。
武漢ウイルス研究所と、コウモリ女と、mRNAワクチンの話が出たときに、すぐにこれは「生物兵器」だと直観し、731部隊に関連したカルマなんだろうなぁと思いました。
中国と日本とアメリカを巡るトライアングル。戦後、アメリカは731部隊が行っていた人体実験の研究成果を入手する代わりに、石井部隊の研究員たちを問責することなく市中に解放しました。その結果、多くが出身大学に帰り医学部の教授に収まったのです。
終戦から2年半後の1948年1月26日に『帝銀事件』という毒物を使った強盗殺人事件がありました。この事件は、画家の平沢貞通氏が犯人だとして逮捕され、死刑も確定したのですが、執行されないまま95歳で獄死を迎える、というスッキリしない幕切れとなったのです。何ゆえに司直が死刑執行を躊躇し、ただ事件が風化していくのを待ったのでしょうか? 多分、それが冤罪だったからです。
この事件の真犯人は731部隊の隊員であったと言われています。警察は、容疑者を複数に絞っていく中で、その線にもある程度は迫っていました。しかしGHQは、捜査が進展することによって、731部隊との密約がそこから表に出てしまうのを恐れたのでしょう。それ以上の捜査追及をさせないよう、上から司直に手を回したということだったのではないでしょうか。
*熊井啓監督の『帝銀事件 死刑囚』(1964年)、『日本列島』(1965年)、『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(1981年)、『海と毒薬』(1986年)は、いずれも戦後日本のどろどろを描いていて当時の雰囲気がよく解ります。
結局、このようにして、戦後きちんと清算して来なかったものが、今になって当時と同じようにして噴き出したということです。そして、石井部隊の隊員と同じメンタリティを持つ医者、専門家や、GHQに媚を売り保身を図ったのと同じメンタリティを持つ政治家、役人たちが、これまた当時と同じように人体実験と殺戮に手を染め、しかし今度は同胞である日本人に対してそれを使った。
そのようにして、80年前に中国大陸で犯したカルマが、日本にブーメランして来たというわけです。
そんなバカな話があるか!と思うでしょう。がしかし、今度の「沸く珍」禍によって奇しくも公になったのは、アフリカを除く(アフリカ諸国は賢かった)世界各国の政府が、みな同じように〈自国民の殺戮〉に向けて一斉に動いたということです。何ゆえにそんなことをするのか?また出来るのか?、という当然の疑問点については追い追い探っていくとして、とにもかくにも、そういう人間がいて、実際にそれが起こされたのです。
私たちは、これまで国や民族やイデオロギーの違いによって絶えず対立することを煽られてきましたが、実はそれは大衆コントロールのための策略であって、本当の敵は横ではなく縦にあったということが、これでハッキリと見えたのではないでしょうか。
詰まるところ、「新世界秩序(New World Order)」の実現を悪魔で(シャレね)果たしたいアングロサクソンの一部とシオニストの狂人たちに、世界各国の首脳たちがことごとく右習えし、従っているという、まったく信じがたいようなピラミッド構造が、裏で密かに築かれていたということが、すべて明らかになったわけです。
早い話が、「陰謀論」と言われてきたことが全部本当だった。
そして、なぜそんな大掛かりな「陰謀」がこれまで可能だったかと言えば、な〜んてことはない。一つには、他者支配欲求と、地位と、金と、贅沢と、麻薬と、Sexの誘惑に転んだということと、他者を騙そうが、傷つけようが、嘘をつこうが、良心の呵責などは微塵も起きないというメンタリティの持ち主が、類が共を呼ぶ現象で集まったという、ただそれだけのことだったのです。
そして、もう一つの側面は「洗脳」。3S(Sport、Sex、Screen)を使って市民の知的向上を阻止してしまう(愚民化=自分で考える力を奪う)一方で、メディアを使って脅しと恐怖を煽り、ある意図のもとへと服従させていくのです。これが、見事にうまく機能した。でも、そこから物質的な要素をぜんぶ剥ぎ取って、そこに介在している人間たちの「心理面」だけを傍観してみてください。実にくだらないとは思えませんか?
これが、監獄惑星「地球」の長年にわたる姿だったのです。悪事に長けた牢名主が幅を利かし、飴と鞭でパシリを使って一般民衆を支配下に治める。そして彼らから労働力と上がりを搾取する。ずっとその歴史です。でも、いま言ったのと同じ視線で、支配層にいる人間たちの「魂」の成長度合いをご覧になってくださいよ。豪邸に住もうが、きらびやかな衣装を着ようが、高級料理に舌鼓を打とうが、ワガママ駄々っ子の幼稚園児のままではありませんか。
いま、自民党が大揺れになっているでしょう。特に「清和会(安倍派)」は、完全にお取り潰しのターゲットになっている。次の写真は、2023年5月16日に開かれた『清和政策研究会との懇親の集い』に集まった安倍派のお歴々です。みんな満面の笑顔で、自信満々といった感じです。それが半年後には、全員がシュ〜ンとした顔に変わっちゃった。「裏金問題」が表に出たというだけでこうまで顔が変わるのかと思ってびっくりしました。
胸を張れないようなことは、最初からしなければよいのにねぇ。でもやっちゃって、バレてから大慌てになる。これが人間なんですよね。
しかし考えてみてください。「裏金」は、別に昨日今日のことじゃないんです。ずっと前からやっていたこと。それに金額だって決して莫大というわけじゃない。どうして今ごろになってそれを騒ぎ立て、マスコミも報道するようになったのでしょう? 要は「清和会」潰し、「自民党」潰しという目的が先にあって、そのネタとして、パーティー券の「裏金問題」を出して来て、そこに当て嵌めたというだけのこと。
地検特捜部というのは、通常の警察・検察では踏み込めないような政治案件を扱う、ということに建前上はなっているのですが、実体は「特別捜査」の「捜査」の字が違う。これは「操作」の意味であって、日本の宗主国であるアメリカさんの意向にしたがって、アメリカさんに逆らう日本の政財界人たちを失脚させるための謀略機関としてある。要は、アメリカさんの下請けの工作機関です。ですから、そのためにはでっち上げだって、証拠改竄だって平気でやる。
それが、「清和会」潰し、「自民党」潰しに動いたということは、上の命令系統(アメリカさんの中枢部)に、一大変化が起きたということを物語っている。
だから、マスコミだってそれを報道できるのです。安倍が生きていた頃には、まったくもって安倍さまさまで、省庁も、警察・検察も、日銀も、経団連も、マスコミも、有識者も、みんな安倍にひれ伏していたじゃありませんか。強姦犯人の友人ジャーナリストも見逃したじゃないですか。佐川だって、モリカケだって、全部うやむやにしたじゃありませんか。それが一変した。
つまり、ウクライナ、イスラエルと来て、DS 叩きの最終章がとうとう日本にも及ぶ段になった、ということでしょう。
私が「なるほどネ」と思ったのは、国民監視の目的で作ったアメリカの「NSA(アメリカ国家安全保障局)」を、トランプさんが DS の悪事の証拠集めに逆利用したの同じように、安倍の手先となっていた検察とマスコミを逆利用して日本政府を追い詰めようとしているところ。だけど、「バカだなぁ」と思うのは、最終的には自分たちの癒着も暴かれていくことになるというのに、目の前の利害だけで動いているから、それを見通す眼がないんだネ。う〜ん。(˘・_・˘)
今や、Covid-19のパンデミックが作られたものだと分かり、「沸く珍」が恐ろしい生物兵器だったということも分かり、ウクライナ戦争はロシアの圧勝と分かり、西側の兵器はポンコツで使い物にならないということも分かり、ウクライナがナチス国家でそれを西側が支援していたという構図が分かり、ゼレンスキー政権がいかに腐敗していたかということが分かり、マイダン革命の工作によってその下地を作ったのがアメリカさんだったことが分かり、バイデン親子も深く関与していたということが分かり、腐敗したエリートたちがこぞって小児性愛者だったということも分かり、イスラエルはシオニスト国家であってユダヤ国家ではないということも分かった。
アメリカさんが、世界のお手本でも警察官でもなく、「悪の帝国」の総本山であったということも分かった。戦後の日本はその属国で、名誉白人ということで G7 のお仲間に入れていただき、それなりの地位を与えられて喜んだ人たちもいたけれど、DS のパシリとなっていいように転がされ、アジアを裏切り、ロシア・中国を敵視し、ひたすらお金を貢がされた。こうして、平成の30年間、日本はやせ細っていく一方だった。
しかし、いま言ったようなことは、日本国民の大半がいまだに知らない。
でも ───
「洗脳」が解けていくスピードが、加速度的に上昇していることに気がつきませんか? 大きなスパンで見ると、3000年間かかって起きた変化が直近の300年で起き、300年間かかって起きた変化が直近の30年で起き、30年間かかって起きた変化が直近の3年で起きている。長年にわたって秘密にされていたことの暴露が、今もの凄いスピードで進んでいるのを、あなたは驚きの眼をもって見ている筈です。
「ムーアの法則」は、何もモノ分野だけで起こっているわけではないのです。精神世界でも同様に起きている。いや、正確に言うと、霊的世界で加速度的変化が起きているから、精神世界でも加速度的変化が起き、精神世界で加速度的変化が起きているから、物質世界でも加速度的変化が起きているのです。ですから、この変化に適応できない人は、「清和会」の政治家と同じように、ある日突然、目の前の梯子がひっくり返されたのを見ることになります。
逆に言うと、霊的世界の加速度的変化を直感している人は、これから新しい、素晴らしい時代を創造していき、直感できない人は、古い価値観を抱えたまま地球圏から消えていくということになる。今度の、沸く珍死、戦場死に、もうその結果が出ています。また、それを強いた側の人間も、真相の暴露によって、これから消えていく運命となっている。まったくもってお馬鹿な話なのですが、それが、今の霊的段階にある地球人が経験しなければならないことなのです。
あなた方は「死」を恐れるので、これを言ってもなかなか理解し難いことでしょうが、「死」そのものは別段どうということもないのです。むしろ、自分を拘束していた「身体」から解放されるので、「魂」にとっては喜ばしいことです。問題は「生き方」と「死に方」です。その過程を通して、「魂」がどんな経験を積み、それによってどれだけ霊性を向上させたかが、死後、向こうへ帰ってから問われることになる。
ここで再度、物質的な要素をぜんぶ外し、衣服や身体も剥ぎ取って、地上に蠢く人間たちの「魂」の活動だけを想像して見てください。これは実際に、霊界から見える個々の人間の姿です。その中には、邪霊に取り憑かれて悪巧みをする奴や、金の亡者となってしまった奴や、Sex や麻薬の虜になった奴や、我が身の保身第一に嘘をつく奴や、無智なるがゆえに騙される奴や、戦場に駆り出されて撃ち合いの挙句に死んでしまう者たちがいます。
まさしく、幼稚園の風景そのものではありませんか? しかしそれは、園児たちの「お遊び」ですからまあ仕方がないのです。イジワルな子もいれば、心やさしい子もいる。暴力的な子もいれば、物静かな子もいる。
大切なのは、その「遊び」を通して、何を学んだかです。
2023年の暮れに『大川原化工機冤罪事件』というのが表沙汰になりました。横浜市にある大川原化工機が製造する噴霧乾燥機が、生物兵器の製造に転用が可能であるのに、経産省の許可を得ずに中国に輸出したという疑いで社長以下3名を逮捕。一年近く勾留したものの、これが冤罪だったという事件です。事件の中身や経過についてはいろいろなところに出ているのでので書きませんが、この事件は、私にとってとても興味深い点がいくつかありました。
先ずは、「生物兵器の製造に転用可能な装置」を中国に売っていたという容疑。このタイミングで、捜査の視点を「生物兵器」にフォーカスしているのです。ところがこの間、中国の武漢で、アメリカさんは実際に生物兵器を作り、ウクライナにも国防総省管轄のバイオラボをたくさん所有していました。そして日本政府はと言えば、アメリカさんの命じるままに、このウクライナを金品で支援しているのです。
二つめは、この事件の捜査と起訴を担当した検事が、法廷で大川原化工機側の弁護士から「謝罪の気持ちがあるか」と問われたときに、「当時、起訴すべきと判断したことは間違っていないと思うので、謝罪の気持ちはない」と答えた、と伝えられた一件です。これは、関係者の感情を逆撫ですることになるのでもちろん問題視されたのですが、私が興味深かったのはそこではなく、地位のある者がするときの責任逃れのパターンなのです。
アメリカさんに追随して日本もイラク戦争に加担し、あとになってイラクに大量破壊兵器が無かったということが分かったときに、国会答弁で小泉純一郎がこう言ったのです。「あのときは、それが正しい判断だったんだ」。まったく仰天します。一国を潰したんですからね。「あのときはそれが正しいと思ったんだ」ならまだ分かる。ところが「当時はそれが正しかったんだ」という論理を持ち出したら、反省する機会も謝罪する機会もそれで潰(つい)えてしまいます。
『大川原化工機冤罪事件』でさらに興味深いのは、この「謝罪の気持ちはない」と言った同じ検事が、大阪地検特捜部が2010年に起こした村木厚子さんの冤罪事件では、冤罪を晴らすための内部告発を行なった人だったというのです。ですから、片方では「冤罪」を晴らすために自分のクビまで掛けて組織と闘い、もう片方では「冤罪」を作っておきながらそれを「謝らない」と言うのです。
他人を謝らせることは可だけれども、自分が謝るのは不可なんですね。この人間心理というものは非常に興味深い。
タッカー・カールソンさんが、「沸く珍」を打った医者たちがなぜ謝らないのか、という問題を提起して「事が大きくなるほど、人は謝れなくなる」と言っていたのですが、これは違うと思います。事が大きかろうが小さかろうが、謝らない人は謝りません。ただ、事が大きくなった場合には、責任転嫁する対象物が増えるので、より誤魔化しやすくなるというだけの話です。「謝る」などという発想を、そもそも持たない人たちがいるのです。
こういう人たちは、次のパターンもよく使う。「自分はそんなつもりで言ったのではなかったが、もしも『誤解』を与えていたのだとしたら謝る」。と相手側の「誤解」に責任を転嫁してしまって、自分からは結局は謝らないのです。
これは、うっかり謝ったりすると、自分をこれまで支えてきた「杖」がそこでポッキリと折れてしまうような感じがするためです。特に、社会的エリートになったり官僚制度の中で生きて来たような人は、「杖」の太さが普通人の何倍にも膨らんでいる。これは宗教人も同じこと。梯子段の階層を上るたびに、それを支える「杖」も太くなっていくのです。ですから、それが折れるイメージは、その人に大変な恐怖をもたらすのです。
しかし、そんな「杖」など、所詮は「幻想」の上に築いてきた「杖」に過ぎません。死んだ後もあの世に携えていけるわけじゃない。ですから、「幻想」の「杖」にしがみ続けていればいるほど、老後や死が怖くなってしまいます。むしろ、「幻想」の「杖」などは早々に折ってしまったほうが、その奥にある、本当の「杖」の存在と、その確証に近づけるのですが‥‥。
けれども、その勇気を持つことよりも、目の前にある恐怖心を一時回避することのほうが優先してしまうのですね。ああ、もったいない。しかし、霊的観点から言えばこれは完全に落第です。0点どころの話じゃない、マイナス60点。なぜなら、せっかくの反省のチャンスにもきちんと向き合わず、スルーしてしまい、その分、カルマを積んだからです。うまく逃げおおせれば、この世では安泰と思うかも知れません。がしかし、死んでからはそうはいかないんですぞ。
こういう人は、あっちへ行くと、自分が迷惑を掛けた人たちの顔が次から次へと浮かんで来て自分を責め続けるのを、その後際限なく見続けることになるのです。なにしろ、本心を覆い隠してくれていた身体はもうありません。そこは意識だけの世界ですから、隠していた心がぜんぶ丸裸になって、その意識状態で固定されてしまう。傷つけられた者たちの恨みつらみが、そこを束になって襲いかかることになります。反省なく死んだ人に、情状酌量はまったくありません。
因果応報というのは、冷徹な「法則」なのです。ですから「情」は介在しません。宇宙には、キリスト教が言うような「罪」や「罰」はありません。死後の審判もありません。閻魔大王もおりません。しかし、自分が為したことは自分に還るという、絶対的な法則がある。どんな知的存在であろうとも、その法則から逃れることは出来ません。しかしあなた方は、その裏にあるメカニズムを知りません。
前回の「波動の法則」の中で、この*宇宙の中に認められる物質は、わずか5%に過ぎないということを言いました。しかも、その内の4.6%は銀河間ガスということで、星にまでなった物質はたった0.3%しかないのです。ここで、次のような映像を想像してみてください。
*厳密に言うと、(想像される)この宇宙。実際はどうなのかは分からないし、「この」以外の宇宙も分からない。
子供用のビニールプールを思い浮かべて、そこに水をいっぱいに張ります。その中に、全体量の4.6%分のゼリーを溶かし入れ、さらに0.3%分の塵を撒きます。塵はもうどこに行ったのかも分からないようなわずかな量ですが、これが星の上にある物質で、人間はその中に含まれます。ベースとなった水は、物質化されていない振動数のエネルギー*に当たり、この中には、あらゆる意識と生命力が複雑に絡み合いながら溶け込んでいます。
*西洋ではエーテルと言い、インドではプラーナといい、中国では気という。
さて、プールの縁をトントンと叩いてみましょう。すると、叩いたところから波が広がっていき、端にぶつかり返ってきます。続けていると、行く波と返る波がぶつかってうねりが大きくなりますが、叩くのをやめれば波はしだいに収まり、やがては平衡状態に落ち着きます。このように、宇宙というものは、基本的に、つねに「平衡」を保とうとする性質を持っているのです。これが、世に「中庸」とか「中道」と言われる性質です。
そうした前提条件の中で、人間が活動をすると宇宙はどうなるでしょうか? どのような活動にも、それをする、したい、しようという「意識」が必ず働いています。すると、「意識」の大海であるこのプールの中の水が、その「波動」で揺れることになるのです。この揺れは、同調や共感を集めれば、それだけ共鳴して大きくなります。
さてここで重要なのは、宇宙には「平衡」を保とうとする基本的性質があるので、そのときに、それと同等の反作用が生じるのです。揺れを元に戻そうとする力です。これが、「因果応報」というものの正体なのです。つまり「因果応報」は、自分が何かを為したその瞬間に、すでにその反作用として起きていることなのです。
ところが、人間にはそのようには思えません。その理由は、「意識」の大海で起きた揺れが、物資界にも影響を与えるようになるまでには時間が掛かるからです。
海辺に行くと、砂浜に、外国から旅をしてきて漂着したゴミを見つけることがあるでしょう。長い長い漂流期間を経て、やっとたどり着いたものです。海の中に入って、海面に浮いているゴミを観察すると、波がやって来てもゴミはほとんど動かずにその場で上下運動をしているだけだということに気がつきます。つまり、波の影響が直ちにゴミに反映するわけではありません。これはプールに浮かんだ塵とて同様です。
今のは喩えとして表現しましたが、今度は前回の「波動の法則」で示した原子モデルの図を使って説明しましょう。
物質界は、様々な原子の集積によって成り立っていますが、堅牢に見えて、実はその内部はスカスカです。それを、この段の冒頭で、プールの中の水と塵の関係に置き換えて説明したわけです。
あなた方は、ご自分を物質的存在だと無条件に捉えていますが、実はそうではなく、「意識」の大海と常時連結している、個別化した「意識」の塊(=魂*)なのです。「自分」だと思っている身体は、「魂」に付随している「塵」に過ぎません。実際には、身体を貫通して、宇宙のプラーナのエネルギーが常時往来しているのです。ところが、その流れに対して、「塵」はあまりにも微量でしかないものですから、わずかな抵抗しか生じません。
*塊は土くれで出来ているけれど、それがもの云うと魂になるというのは面白いですね。
このため、「意識」の大海、つまり「霊界」の場では、直ちに起きている反作用が、物質界にまで降りて来るためには相当な年月が掛かるのです。若いときから継続してきた思考パターンや行動パターンに対する「反作用」が具体化するのが、人生の終盤であったり、多くが来世にまで持ち越しになったりしてしまうのはそのためです。結果として、人間は、とことん追い詰められない限りは、自分の過ちというものになかなか気づけません。
しかし「霊界」においては、逐一、預金通帳にプラスとマイナスとが記録されています。そして、負債が溜まりに溜まったときに、清算のために一気にそれが流れ出る。それを、前回「ししおどし」の喩えを使って説明しました。ですから、本当は「因果応報」というものは瞬間々々でつねに起きているのです。が、人間は気づけないまま、ついつい負債を溜め込んでしまう。もちろん逆もあります。意識しないまま、でも貯金を少しずつ増やしていく善人もいる。
さあ、これで宇宙には「罪」も「罰」もない、審判もない、閻魔大王もいない、と言ったことの意味がお解りでしょう。審判を与えているのは、自分自身の、その時々の「自由意志」なのです。「罪」と「罰」という言葉を敢えて使えば、自分が「罪」を作り、自分が自分に「罰」を与えるのです。結局これは、誰も逃れられない、厳格な「宇宙の法則」の手のひらの上に、全員が乗っているということなのです。そして、この法則に情状酌量はありません。
さてここで、「ムーアの法則」に絡めて、霊的世界でいま加速度的変化が起きているという話をしたことを思い出してください。それが精神世界にも落ち、物質世界にも落ちてきているのです。そこで、安倍派のお取り潰しという動きも出てきている。ちょっと前ならば、不祥事などみんなスルーですよ。そして来世へ持ち越しだった。でも、自分が生きているうちに、議員生活をしているうちに、反作用が返ってきたわけです。
さて、そこでです。これは実は大変なギフトなのですが、果たして、本人たちがそのことに気づけるかどうか。反省して、自分の過ちを認められるかどうか。傷つけたり、騙した人たちにちゃんと謝ることができるのかどうか。
地球圏の外郭の波動が上がって(要は、地球がアセンションに突入して)、ずっと「闇」に暮らしていたかった人たちが、まるで陽だまりに置いた石を急にめくったときに右往左往する、ダンゴムシのような騒ぎになっています。
隠し事が根こそぎ暴かれて、そりゃあ辛いでしょう。
眩しくて、眼も痛いでしょう。
でもね。それはイジメるためでも、懲らしめるためでもないんですよ。今からだって、光の中に飛び込めるのです。光に抱いてもらうことだって出来るんです。光は決して拒みません。誰にも、いつでも、同じように照らし続けているんです。ただ、それに気づけなかっただけ。「闇」の誘惑のほうが楽しいし、ステキだと思ってしまっただけ。だって光は、あなたをふんわり温めるだけですもの。
どうぞお好きな道を行きなさい。わたしにはそれしか言えない。でも、神があなたを見捨てることは絶対にない。なぜって、神にとってはみな愛しいわが子なのですから。